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白あんパンと母

今でこそ、白あんの美味しさがわかるようになったものの、子どものころは、あんこといえば茶色い小豆しかなく、白い色のあんこは、どうにも受け入れがたかった。

そういえば、チョコレートもそうだった。
チョコレートといえば、茶色。
ホワイトチョコレートなんて、白色のくせに、どうしてチョコと名乗ることができるのか、不思議でしょうがなかった。
今となっては、むしろホワイトチョコレートの方が美味しく感じるんやけど。

いやいや。
白あんの話である。

子どもの頃は、白あんなぞ自ら食べることはまったくなかった。
もっといえば、あんぱんを食べることもなかった。
パンといえば、食パン。
たまに、買ってもらえる菓子パンは、一人1個しか買ってもらえないので、それを味の想像がつきそうなあんぱんにあてるなんて、そんなもったいないことはしなかった。


そんな子どもの頃のことである。

ある日、急に、母が散歩に行こうと言いだした。
母と妹と私の三人で、川べりを歩こうというのだ。
散歩なんて、ただ、歩くだけなんて、面白くないなあと思ったけど、
「おやつも持ったよ~。」という母の言葉に、いそいそと靴をはいたのを覚えている。
私がまだ小学校の低学年だったか。
となると、妹は幼稚園児か。

草がぼうぼうに生えている川べりを、三人でただただ歩き続けた。

「どこに行くの?」

と聞いても、母は、

「そうやなあ。」

というだけ。

「どこに行くか決まっていないのに、歩くなんて変なの。」

と私が言う。

でも、なんとなくちょっとした冒険のようで楽しかった。
けっこうな高さの草を押しのけながら歩く。
それも、なんだか楽しかった。
草を抜いたり、それを妹に投げつけたり、草の中にまぎれて、姿が見えなくなった妹の声だけがするのも面白かった。

そうやって、歩いている間、ずっと川の音が聞こえていた。

「もう歩かへん。
だっこ~~~。」

歩くのに飽きてきた妹が、ぐずりだす。
だましだまし歩かすのも、きつくなってきた。

その時に、母が、
「おやつ食べよか。」
と言って、袋の中から何やらとりだした。
そして、それを半分に分けて、私と妹にくれた。

「えっ?パン?」

てっきり、お菓子と思っていた私は、ちょっとがっかり。
いや、けっこうがっかり。

「美味しいで。あんぱん。」

母からの、追い打ちの一言がとんできた。

あんぱん~~~!?

よりにもよって、あんぱんて・・・。

あんぱんは、おやつとちゃうやろ。
それは、ちょっとあんまりやで。

なんか、だまされたような気がせんでもない。
けど、歩きながらものを食べることを許されるなんて、そうそうないことなので、ちょっと悪いことをしているワクワク感の方が上回った。

一口、ぱくっ。

なんか、違う。

もう一口。ぱくっ。

やっぱり違う。

「お母さん、これ、ヘンな味するで~~。」

「ほんま?白あん美味しいはずやで?」

白あん?白?
なんじゃそれ?

それを聞いて、口も手も止まってしまった。
私の半分の白あんぱんは、母に戻された。
妹を見ると、美味しそうにもぐもぐやっていたので、ちょっともったいない気もしたけど。
でも、白いあんこは無理やわ。

ってことを、母に言いたかったけど、二口齧ってしまった白あんパンと一緒に、その言葉をごくりと飲み込んだことを、今でも覚えている。

いつも、食べ物に文句を言うと、めちゃくちゃに怒られるのだ。
好き嫌いなんて、ぜったに許してもらえへんかった。
それどころか、嫌いなものをしぶしぶ食べていると、美味しそうに食べないという理由で、怒られた。

なので、母に白あんぱんを返すなんてことをしたら、家に帰るまでずっと怒られるはず。
憂鬱な気持ちのまま、下を向いて歩いていた。

でも、いつまでたっても、母は何も言わない。
私が返した白あんぱんを、口の中に押し込むようにして食べ、黙っている。

怒られずにすんで、とてもほっとしたのを覚えている。
そして、あの時の母のぼんやりとした様子は、今でもしっかりと思い出せる。
思えば、母は30歳すぎだったはず。
何か、心にどよんとしたものがあったんやろうか。
とにかく歩きまわりたい、そんな気持ちになるようなことがあったんやろうか。
いいことではなかったんやろうな。

母は、ずっと喋っている人やった。
喋ってるか、食べてるか、植物をさわってるか、あとは、寝てるか。
そんな人が、子どもしか相手がいないとしても、何にも言わずに歩き続けるなんて、そりゃ、なんかあったんやな。

そんな母は、今85歳。
一人暮らしで、なんとか頑張っている。

お喋り好きは健在で、ご近所にたくさんの犠牲者が出ているのは、まちがいないだろう。
娘の私でも、母と電話で話した後は、犠牲者の気分になるほどやから。
時間だけでなく、こちらのエネルギーも奪っていくほどの熱量で、喋り続けるのだ。
話が途切れないのだ。
いまやったら、話の切れ目を相手に与えない営業トークができる人として、表彰もんやったかもしれん。

そんな母やけど、いろいろあったんやなあ。
と、もうすぐ59歳になろうとする娘は、今頃気がつく。

半世紀以上も過ぎてから。

記憶がよみがえるタイミングって、不思議。


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