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家族を「役割」で呼ぶこと

毎週日曜日。
夕方18:00といえば、「ちびまる子ちゃん」の放送だ。

「ちびまる子ちゃん」→「サザエさん」の流れを観ると
もうすぐ月曜日だな…といつも思う。

今回は、昔から少し、「ちびまる子ちゃん」に関して
感じていた【違和感】について書いてみる。

感じている違和感

みなさまは、主人公「まる子」のお姉ちゃんの
名前をご存知だろうか。

おそらく、知らない人が多いのではないか、と思う。

自分自身、アニメ上では知らず、漫画を読んで初めて知った。

ちなみに、本筋とは関係ないが、
お姉ちゃんの名前は「さき子」、お母さんは「スミレ」。

なぜ名前を知らないのか。

それは、アニメでは家族内で、
「お姉ちゃん」としか呼ばれていないからだ。

自分自身にも弟がいて、立場としては「お姉ちゃん」だが
両親や祖父母から「お姉ちゃん」とは呼ばれていなかった。
だから、家庭内で名前で呼ばれていないことに違和感を
感じたのだろう。

「お姉ちゃん」=「役割」

「お姉ちゃん」や「お母さん」などは
家族の中でのある種「役割」を表す言葉だと思っている。

だから、「お姉ちゃん」と呼ばれる以上、
「お姉ちゃん」という役割を果たす必要があるように
思えてしまう。
学校で、教師が「先生」と呼ばれるように。

実際、「ちびまる子ちゃん」の話の中では
さき子が「お姉ちゃん」という役割で
いなければならないことにストレスを感じている場面も
描かれている。


自分に置き換えて考えてみたときに、どうだろう?

例えば、自分がぽん٩( ᐛ )و(旦那)の友達に紹介される
場面があるとする。
ぽん٩( ᐛ )وは当然、こに(°▽°)のことを「嫁」として
紹介するだろう。

だが、そうやって紹介された瞬間、
こに(°▽°)は「こに」というひとりの人間であるより前に
「ぽんの嫁」になってしまうのだ。
少なくとも、彼の友人たちの中では。

それが、一概に「悪いこと」だと言いたいわけではない。
そういう「役割」でいる方が、お互いに楽であることも
多いと思っているからだ。

しかし、毎日毎日、ぽん٩( ᐛ )وから
「嫁!!」と呼ばれたらどうだろう。

なんだか、「嫁」の役割をずっと果たさなきゃ
いけないみたいじゃないか。
自分は、「こに(°▽°)」というひとりの人間なのに!

だから、わたしは、いつでも名前で呼ばれたい。
相手のことも名前で呼びたい。

そんなことを思う、日曜の夕方です。
(今は全然日曜の夕方じゃないけど)

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