見出し画像

結婚するかどうかを合理的に判断する

今日、会社の上司と面談した。

そのときに、言われた。

「結構、合理的に物事を考えるよな」

こう言われて、確かにそうだ、と納得した
というか、改めて気付かされた。
そして考えてみた。

自分が合理的に物事を捉えている場面ってなんだろう。

そして、気づいた!
そもそも結婚するかどうかも合理的に判断したぞ、と。

以下、分析。

結婚するかどうかの判断基準(非合理的考え方)

まず、結婚するかどうかの判断基準として
非合理的なものはなんだろうか。

思い当たるのは
「好きだから」、「ずっと一緒にいたいから」
「この人といると幸せになれそうだから」など。

確かに、自分が結婚を決めたとき、
このような非合理的な要素もあったとは思う。
一方で、この非合理的要素だけで結婚を決めるのは
早計だと自分は考えている。

なぜなら、非合理的な要素のみに基づいて判断すると、
合理的に考える(ある意味、客観的に捉えると言えるかもしれない)ことができなくなってしまう場面があるからだ。

「パートナーから、ひどいことをされていると頭の隅ではわかっているのに、好きだから、別れられない」ということを経験したことはないだろうか。

この場合、何をするにしても、
判断基準が「その人に好かれるかどうか」に
なっているケースが多いと考えている。

その判断基準には、合理性などどこにもない。

結婚するかどうかの判断基準(合理的考え方)

一方で、合理的かどうかで
結婚するかどうかを考えてみるとどうなるだろう。

合理的な判断基準としては、
「2人で暮らすと、生活費が削減できる」
「病気や怪我などで仕事ができなくなった場合でも、
 パートナーが働いていれば、生活には困らない」
「家事を分担することで、そこにかかる時間を減らすことができる」
あたりだろうか。

合理的な判断基準に基づいて決断する場合、迷いがない。

メリットとデメリットを並べてみて、
メリットの方が大きければ結婚すればよく、
デメリットの方が大きければ結婚しなければいいのだ。

そして、メリット、デメリットを考える時は、
「メリット=好きなひとと一緒にいること」など
感情的な判断は入れない。

「感情」は合理的なものではないからだ。

合理性と非合理性のバランス

なんだかんだで思うのは、よく言われる通り、
「恋愛=非合理的判断によるもの」
「結婚=合理的判断によるもの」なのだろう。

恋愛中、パートナーの一挙一動に自分の行動が
左右されるのは、明らかに合理的ではない。

一方で、非合理的だから、と全く恋愛をしないと、
失敗はしないかもしれないが、偏った判断基準をもつことになりそうだ。

「合理的だと自分が思うこと」だけにとらわれると
「合理的かどうかの判断基準」が主観的なものになりすぎ、
挑戦してみないとわからない価値のある経験をする機会を逃したり、新たなことをなかなか始められなかったりするのではないだろうか。  

また、当然、人によって、
「合理的に考える割合」と「非合理的に考える割合」は
異なるはずだ。
人間関係においては、そうした相手の考え方を
推しはかることが必要な場面もあるだろう。

自分の中でも、「このときは100%合理的に」、「このときは80%非合理的に」など、基準がぶれることはあるのだから…

だから、非合理的な考え方も一方で持ちつつ、
それに引きずられすぎず、
しっかり合理的に判断することも必要であることを
念頭に置くのが大切なのではないだろうか。

そんなことを考えたいちにちだった(・∀・)

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?