贅沢な時間
●会社の梅が咲き始めていた。まだ1/10くらい。
○これを、見つけてひとりでニコニコできるくらいには幸せだ。
○効率を求めて結論だけ投げかけるんじゃなくて、モヤモヤした状態をそのまま投げてキャッチボールしながらだんだんとそのモヤが晴れてくるような対話ができるといいなと思う。
◎会社のメンバーは決して友達じゃないが、同じ船に乗る仲間になっている感じがしてきていて、そうなったらいいなと思う。そう感じるようになったのは対話が増えて、自然と相談も増えたからかな。
○あとは、わたし自身が、自分の会社をなぜやっているのか、そこに向き合ってきたからかもしれない。創業者ではないからこそ、創業者と同じように自分の会社にしなければならないとずっと考えていた。それにはなぜこの事業なのかを明確にする必要があった。それが少しずついろんな形で伝わってきているのかな。そうだったら嬉しいことだ。もっと努力すれば、もっと早く伝わるかもしれないけれど、早く伝わればいいってわけじゃない。丁寧にじっくりいろんな角度から伝わればいいかなと思う。
●夜は息子のプールを迎えにいく。その前に罪深き夕飯を食べてしまった。
●息子と二人。一緒に風呂に入る。
●わたしが湯船に浸かって彼が洗っている間に、よく話してくれる。
○わたしの子供の頃の話を聞いてくる。
◎わたしの家のわたしの部屋がみんなの溜まり場になっていて、そこでみんなで一つのゲーム画面を見ていたり。それはさながら今でいうYoutubeの実況のようなものかもしれない。リアルな体がそこにあるから、演劇的ではあったかもしれない。退屈したら、また新たな友達同士で外に遊びにいっている。自由に出入りしていたように思う。
◎今の息子は、それぞれの家でネット回線を通じてそれぞれの端末でゲームしながら話ができる。ゲームが終わってもテキストの交換が続く。
そんなだからか、かつての遊び方が新鮮でそれはおもしろそうだと羨ましがっていた。
◎そういえば、大学の頃もわたしの家が溜まり場になって、そこでずっとみんなでぷよぷよして、明け方まで話したり無意味な時間を過ごしてた。あれはあれで非常に幸せな時間だったなと今思う。今、あんなに贅沢な時間は2度と来ないのだろうかと思うと寂しいものがある。
○今も昔もそんなものだ。目的に沿った会話もあるけれど、無目的な会話をやりとりする。出たり入ったりは自由で、盛り上がる時もあるし、そうじゃない時もある。本当に繰り返し思うのだ。それが何よりの贅沢な時間だった、と。
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