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時計の記憶

 二十代の頃、あるブランドの腕時計を使っていた。特に高価なものではなかったけれど、大いに気に入っていつも身に着けた。職場でも、「百裕の時計」として周りから覚えられていた。
 仕事を辞めて川崎から引き上げる際、時計屋へ電池交換を依頼したら竜頭が折れた。
 店主が微妙な顔をしながら「ボンドでくっつけときました」と言うのを聞いて、眼玉を抉り出してやるべきかちょっと迷ったが、こちらも微妙な顔で「そうですか」と言って済ませた。
 竜頭はきっと、汗で劣化したものだったろう。

 幼い頃、祖父が使っていた時計をくれた。高価な物だったそうで、母・叔父・叔母・祖母、みんなが驚いたのを覚えている。特に叔父が驚いていた。事によると叔父自身が欲しかったのかも知れない。
 この時計を今でも使っている。もう祖父よりも自分が使った方が余程長い。
 時折壊れて、その度に修理に出していると父母に云ったら、そんな古い時計がまだ直せるのかと驚かれた。アンティーク時計の愛好家は多いから、部品が存外出回っているのだろう。

 この時計が、去年辺りから随分遅れだした。朝ネジを巻いて、夕方になると十五分ぐらいずれている。半日で十五分はさすがに困る。
 時計店へ持って行ったらその場で見てくれたけれど、どうもあんまり変わらない。きちんと修理してもらうには手元不如意だったので、しばらくスマートウォッチを使った。
 最初は物珍しさから、着けたまま寝て睡眠状態を確認したり、歩数を無闇に測ったりしていたけれど、じきに飽きた。

 それでまた祖父の時計を使い出した。
 遅れる前にこまめにネジを巻いておけばいいだろうと思い付いて、気が付く度に巻き足した。
 そうやって騙し騙し使っていたら、先日ベルトが切れた。たまたま予備のベルトがあったから自分で交換したら、どういうわけか遅れなくなった。
 ベルトが原因で遅れていたとは考えにくい。しかし実際遅れない。どうも不思議である。
 もっとも、この時計は以前に祖母と叔父が亡くなった時もそれぞれ壊れたので、ベルトが気に入らなくて遅れることだってあるかも知れない。

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