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家紋、財布、爪

 先日、所用があって河野君の席へ行ったら、机の上の財布が目についた。何だか家紋のような模様が印刷されている。きっと高級な物なのだろう。ただ、随分ぶ厚い。この様子では、ポケットには入らない。
 こんな大きな物をどうして持ち歩くのかと訊いてみたら、河野君は「何、カバンに入れておくだけですよ」と言う。全体このおっさんは何を言い出すのか、というような様子である。
「では君は、いつもカバンを持ち歩くのかね?」
「ちょっとコンビニに入るぐらいだったら、財布だけ持って行きますね」
「どうやって?」
「手に持って行くんですよ」
「何だか邪魔じゃぁないか?」
「別に邪魔じゃないです」
「物騒じゃないか?」
「え?」
「あいつ、高そうな財布持ってるぜって、狙われないか?」
「大体、駐車場から店に入るまでの距離なんで……」
「……転んだ時に手をつけないだろう?」
「……転ばないんで……」
「そうかい」
「ていうか、最近はスマホで払うんで、そもそも持ち歩かないですね」
「……なるほど……」
 何だか、知らない間に世の中から置き去りにされたみたいな心持ちになった。

 仕事帰りに、あんまり疲れたものだから羊羹を買いにサンドラッグへ寄った。羊羹はコンビニでも売っているが、サンドラッグで売っている羊羹の方が大きい。コンビニ羊羹の四倍ぐらいある。
 たまたまPayPayのポイントが貯まっていたので、それで支払うつもりで画面を読み込ませたらエラーになった。
「あれ? 一回リロードしてみてください」とレジ係の女子が言う。
 言われた通りにリロードしてみたが、やっぱりエラーになる。
「……残高って、入ってます?」
「いや、ポイントがあるから」
「ポイントですか」
 レジ女子は、自分のスマホ画面を上から指差しながら何かを探し始めた。随分立派なネイルだから小銭などは扱いづらいだろうと思ったところで、女子は「あ」と言った。
「これですね。ここピッてやってください」
「これかい? ぴ」
 言われるままに操作してようやく支払えた。

 世の中の変化について行けないおっさんそのものだと思えてきて、もう羊羹なんかどうでもいいような気がした。

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