武者返し
極端な出不精で、子供の頃の家族旅行と修学旅行を除くとほとんど旅行に行った験しがない。
一度、能登半島の先っぽへ一人旅を考えたけれど、何だか自殺志願者と思われそうでやめた。代わりに奈良へ行こうかと思ったが、そもそも一人で行ってもつまらなそうだからこれも止した。
船に乗って遠出をしてみたいと、時々考える。
大学時代にはサークルの合宿で毎年小豆島へ行った。大阪南港から船で島へ渡ったように思うが、今調べてみたら南港から小豆島への便はない。もう三十年も昔のことなので、船の便も変わったかも知れない。何にしても大した距離ではないから、二時間かそこらで着いたはずである。
航行中はメガデスの曲に合わせて、梅本とヘッドバンギングをしていた。随分頭がくらくらしたのを今でも覚えている。
小学校の修学旅行で、7時集合のところへ6時に行ったら先生が驚いた。もう来たのかと教頭が呆れたように云ったから、自分が一番かと思ったら、既に加藤君が来ていた。
加藤君は中学に上がってから随分女子にもてた。何だか悔しいから、彼は小学校でそんな幼稚なことをしていたのだと女子に教えてやろうとしたら、女子は「百、お前うるさい」みたいな按配で一向聞く耳を持たない。甚だ面白くないので云うのを止した。
修学旅行は九州へ行った。バスガイドのお姉さんから、熊本城の石垣は武者返しという容易に登れない構造なのだと聞いていたが、手近な石垣で験してみたら、存外楽に登れるようだった。すぐに二メートルを越え、さらに上を目指そうとしたところで、「こら!」と中澤先生に怒られた。
「先生、登れますよ、これ」と教えたけれど、いいから下りろとまた怒る。まだやれるのにと不服であったが、いくら登ってもいずれは下りざるを得ない。下りた時に「どうしてすぐに下りないんだ!」とさらに怒られるのは、いよいよつまらない。それで諦めて下りてやった。
実はあの石垣は「登れない」のではなく、「登れないことになっている」のではないかと疑ったが、何にしろ二メートルばかりではわからない。再チャレンジしようにも熊本城へ再び行く機会がないから、時折思い出しては気になって困った。
先年の地震で崩れたのを直した際、もっと勾配をきつくされていたら、もう本当に登れないだろうと思う。
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