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百卑呂シ随筆

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#喫茶店

異世界の記憶

 朝、大学へ行くつもりで家を出たら、何だか商店街の様子が違っている。何が違うのか判然しないが、何だか違うのに違いない。  入口には書店がある。先日ここで村上龍の本を買った。あんまり面白くなかった。  その隣に化粧品店がある。ここで一度、ライブの前にアイシャドウを買った。あの時は、変なふうに思われないようギターを背負って行った。  化粧品店の向かいに飯屋がある。以前、入江さんに天丼を奢ってもらったら、あんまり美味くなくて残念な思いをした。  飯屋の隣は大きめの銭湯で、ここには一

アジト

 喫茶店で読書をするのが好きだ。  大学時代には学校の近くに行きつけの喫茶店がいくつもあって、暇さえあればそのどこかで本を読んでいた。まだ携帯電話がなかった時代で、百裕に用がある時は学校周りの喫茶店を探すという者も何人かあったらしい。  家で一人で読んでいると、どうも世の中から取り残されたような心持ちになって来る。喫茶店で読むのが、安心して集中できる。それに優雅な時間の過ごし方のようでもある。  卒業後、就職で広島の田舎の方へ引っ越した。そこでも喫茶店読書は続けるつもりでい

煙ばあさん

 十数年前、いつものコメダ珈琲店へ行ったら禁煙席が全部塞がっていた。  一人で空き待ちをするほどのこともないだろうと、カウンター席に座ることにした。カウンターは喫煙側にあったけれど、この時分には今ほど他人の煙草のにおいが気にならなかったのである。  カウンターで本を読んでいると、ボックス席から知らない婆さんがやって来て、黙ったまま隣に座った。そうして無言でぷかりぷかりと一服つけ始め、一本吸い終えるとまたボックス席へ戻って行った。  戻った先も喫煙席である。  面妖な婆さんだ

ヘドロ原人

 昼飯を食いに入った喫茶店で、隣席の老人が「おぅっふ!!!」と怒鳴り出したからビクッとした。どうやらくしゃみだったらしい。  老人はその後も執拗に「おぅっふ!!!」を繰り返し、そのたびにこちらは驚いた。  老人の向かいには夫人も座って珈琲を飲んでいる。現役を退いて、夫婦でのんびり過ごしているところなのだろう。そういう老後には大いに憧れるけれど、それとこれとは別の話である。他人が平和に食事しているところを、いきなり「おぅっふ!!!」と驚かす法はない。  全体、くしゃみをするのに

紅茶の味、品のないマダム

 大学時代はよく喫茶店へ行った。一人で喫茶店に入って時間を過ごすのが、何だか大人になったようで嬉しかったのだと思う。  行きつけの店はいくつかあって、大抵どの店でも紅茶を飲んでいた。珈琲だと1杯で終わってしまうけれど紅茶はポットで提供されて3杯分ぐらいあるから、というような理由で、別段紅茶が好きだったわけじゃない。  そうして4年間、紅茶ばかり飲んでいたのに、味の違いは未だに渋いか渋くないかぐらいしかわからない。まったく通い甲斐のなかったことだと思う。  ただ、この喫茶店通い

珈琲と人生の伏線

 18の時、郷里から大学受験で大阪へ行ったついでに、音楽雑誌で見かける大きな楽器店へ行ってみることにした。その店のオリジナル商品であるギター用カスタマイズシールを買うつもりだった。  スマホなどない時代で、予め雑誌で住所と地図を調べて行った。ところが店があるはずの場所にはオフィスビルがあるばかりで、楽器店らしきものは見当たらない。看板もないものだから、小一時間辺りをうろうろしたけれど一向見つからない。このままでは埒が開かない。ダメ元でオフィスビルに入ってみることにした。

常連とイチゲン

 大学時代、学校の近くに行きつけの喫茶店が3軒あった。その内2軒――ギャルソンとTARO――については先日書いたから、今回は□□について書いてみる。  この店だけ伏せ字にするのは、もしも関係者が読んだ場合にきっといい気がしない内容だからである。 ※  □□のカレーは不味かった。何しろ苦かった。きっと焦がしたのだろうと最初は思ったけれど、いつ食っても同様に苦い。事によるとこれがこの店の味なのかもしれないと思ったから、以後ここでカレーを食うのは止しておいた。  □□の店主は

具無しカレーの記憶

 大学の帰りに学科の友人らと一度、正門前の “TARO” で食事したことがある。もう外が暗かったから季節は冬だったろう。  店主の奥さんがカレーライスを置いてキッチンへ戻った後、佐伯が「具が、無ぇ…」と言った。佐伯は女子だが、男のような物言いをした。  みんな別の話に夢中で誰も反応しなかったから、もう一度云うかと思って見ていたが、佐伯は云わずに食べ始めた。そうして「あぁ、美味い」と言った。やっぱり誰も反応しなかった。  具が見当たらないのはケチっていたわけではなく煮込んで

生姜の入ったカレーとハシビロコウ

 大学時代に通った喫茶店がいくつかあった。多分一番よく行ったのが『カフェ・ド・ギャルソン』だった。  落ち着いた感じの良い店で、紅茶の種類が随分豊富だった。自分には違いがわからなかったから、いつも名前を言いやすい『アフリカンジョイ』を注文していた。  一方、食べ物のメニューは簡素で、トースト、サンドイッチ、カレーライスぐらいしかなかったと記憶している。  カレーは随分美味かった。他のお客が「ここのカレーはねぇ、本当に美味いのだよ。家で真似しようとして色々やってみたのだけれど