俺の親父はサブカルに疎い。
親父にまつわるマンガの思い出について、語りたくなった。
そもそも、俺の親父はあまりマンガを読まない。
というよりも、サブカルチャー、オタクカルチャーについて、あまり興味を示さない傾向がある。
マンガだろうとアニメだろうと小説だろうと、とにかく『物語』についての興味が薄いとしか思えない。ガキの頃から物語こそが生きがいだった俺には、その感性が理解できなかった。
3、4歳くらいのころだったか、親父に聞いたことがある。
「おとーさん、マンガとかえいがとかすきじゃないの?」
親父は気だるそうに答えた。
「他のドラマ観てる余裕はあんまない。俺の人生がドラマみてえなもんだから」
無駄にハードボイルドな答えに、幼児の俺は言葉を失った。
親父へのリスペクトゆえの沈黙ではない。
コミュニケーションの糸口をバッサリいかれた事実に困惑して、二の句が継げなかっただけだ。
もうひとつ、象徴的な思い出がある。
これも物心ついて間もないガキのころ、”ラピュタ”のVHS(化石みてえな単語だ)を擦り切れるほど観返していた。
俺の横には親父がいることが多かったが、その親父は一緒にラピュタを観ることはなかった。
親父は、いつも俺のそばで寝ていた。
観終わったあと、俺たち父子は、いつもおきまりの会話を交わしていた。
俺「おもしろかったよねー!?」
親父「”酔拳2”が観てえ」
ラピュタを観るたび酔拳2が観てえbotと化していた親父に、子ども心にゲンナリしたのを今でもよく覚えている。
そんな親父だが、小学校にあがるころには、その嗜好がおぼろげながら理解できてきた。
要するに、親父は自分の青春時代(主に70年代)に流行ったコンテンツが好きだったのだ。
身も蓋もないことを言うと、トシをとるにつれて新しいコンテンツを摂取するエネルギーが失われるという、誰にも起こりうる、ありがちな話だ。
だから、たまに親父が自分からマンガを買ってくるとき、最初のほうこそ驚いていた。
しかし考えてみれば、どのマンガのネタも親父好みのものばかりだと、後々合点がいったものだった。
以下に、親父が買ってきたマンガを列挙していく。
― ― ―
頭文字D
これは鉄板だろう。現在還暦前後の男たちが青春の思い出に挙げるとしたら、”クルマ”は相当な上位に入るに違いない。
もっとも、クルマに興味のない俺は、ほとんど流し読みで済ませていた。
だからこのマンガの知識など、
・プロレーサーより文太(主人公の親父)のほうが強い
・キャラクターが全員タラコ唇
・とりあえず車体に”藤原とうふ店”と書いときゃいい
ぐらいしか持ち合わせていない。
哲也~雀聖と呼ばれた男~
これもありがちだ。どれほどのものかは知らないが、少なくとも今に比べれば、昔のほうがよほど麻雀人口は多かったはずだ。
最初、俺は麻雀も知らないままストーリーだけ読んでいた。
それだけでも十分面白かったのだが、どうせならルールを知っていたほうが面白いと思い、親父に麻雀を教えてくれとせがんだ。
親父はこころよく、しかも根気強く、俺に麻雀を教えてくれた。
しかし、熱心に教えてくれたのも当然で、そもそも狙いはそれだったらしい。
「俺とカアちゃんは打てるから、あとは息子ども二人に教えりゃあ家族で卓囲めるな」
そんな思いつきで買ってみたら、思いのほか俺と兄貴が食いついてきたのでうまくいった、と後日聞かされた。なんて親だ。
純真無垢な瞳で「おとーさん、麻雀おしえてよ!」とせがんできた俺たちを見て、親父は内心、夜神月ばりの悪い顔でほくそ笑んでいたに違いない。
つくづく、なんて親だ。
魁!!クロマティ高校
これは、俺がきっかけだった。
高校の頃、友人から借りてきたクロマティ高校のアニメを家族で観たところ、一番ツボに入っていたのが親父だった。
曰く、
「ここからゴリラと外人(フレディ)とロボット(メカ沢)を抜いたら、だいたい俺の母校」とのこと。
いやいや、いくらなんでもそれはねえだろ。
えっ、じゃあ何か?マスクド竹之内(元ハイジャック犯)みたいなのもいたのか?と聞いたら、
「いなかったけど、いたとしても違和感ねえし、たぶん誰も気づかなかったんじゃねえかなあ」
平然と、そう答えた。
この話は流石にマユツバだろうと長年思っていたが、過日、親父の母校の先輩という人に会う機会があり、色々話を聞かせてもらった。
結論からいうと、だいたい本当だった。
諸々の事情で詳細は伏せるが、ざっくり言うとビーバップハイスクールとクロマティ高校が6:4でブレンドされた修羅の国、それが親父の母校だった。
親父「俺ら、よく生きてこれましたねえ」
先輩「毎日が戦争だったな」
いや、そんな実感のこもったセリフ言われても、その、なんだ。困るわ。
SLAM DUNK(スラムダンク)
これについては、永年の謎だった。
ある日突然、真っ赤な髪の男が表紙のコミックス(つまり1巻だ)を、親父が買ってきたのだ。
息子たち、つまり俺と兄貴は、当時ジャンプを読んでいない。親父にしたところで、そもそもマンガを自発的に読むような人間じゃない。
しかし親父は、2巻、3巻、4巻と、新刊が出るたび黙々とスラムダンクのコミックスを買い揃えていく。
おかげで俺たち兄弟は、90年代小中学生の必須科目、もはや教養と言ってもいいレベルの傑作マンガを、リアルタイムで読めるという恩恵にあずかることができた。
しかし繰り返すが、親父は本来マンガを、それも少年マンガを好き好んで読むような人間じゃない。
ましてや、今でこそレジェンド級のタイトルだが、当時のスラムダンクは10週打ち切りの可能性だってありうる、海の物とも山の物ともつかない新連載マンガのひとつに過ぎなかった。
そんなマンガを、なぜ親父は1巻から延々と買い集めていたのか。
こればかりはどうしても理由がわからず、中学生くらいからことあるごとに親父に理由を尋ねた。しかしそのたび、親父はのらりくらりと話をそらし、答えようとはしなかった。
数年前に実家に帰ったとき、同じ質問を親父にしてみた。
どうせまたはぐらかされるだろうな、と思いながらの質問だったが、親父の反応は予想外のものだった。
親父は、数秒ほど沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……間違えた」
は?と俺が言うと、親父は言葉を続けた。
「ヤンキーマンガと、間違えた」
ぽかんと口を開ける俺をよそに、親父はしゃべり続ける。
「いや、流石に俺もさ、小さい子どもがいんのに”バレーボーイズ”とか買ってくるのは教育によくねえなと思ってたんだ、エロとかもあるし」
「でも少年マンガならそこまで過激じゃねえよなって思って、本屋であの(1巻の)表紙が目についたから買ってきたんだよ。あんな真っ赤な髪のヤンキーが表紙なんだから間違いねえよなって」
「なのに、なんでマジメにバスケ始めてんだよ、アレ……。しかもやたらおもしれえから、買うのもやめらんねえしさあ」
「いや、タイトルで”スラムダンク”つってんじゃん。桜木だって1巻の表紙でしっかりバスケットボール持ってるし」
俺がこれ以上ないはずのツッコミを入れると、親父はまさかのカウンターを返してきた。
「”バレーボーイズ”だって、あのタイトルからあの中身じゃねえか」
キレと説得力のあるカウンターをくらい、俺は今度こそ言葉を失った。
親父
「でもアレだな、鉄男と桜木の決戦(三井たちがバスケ部潰しにくるところ)は、そこら辺のヤンキーマンガよりよっぽど面白かったわ」
俺
「あ、それはわかる」
― ― ―
最後に、もうひとつだけ、親父とのマンガの思い出を語らせてもらいたい。
思い出と言っても、そんなに昔の話じゃない。つい1、2年前の話だ。
年末、実家に帰った俺は、毎年恒例の家族麻雀の卓を囲んでいた。
そう、親父とお袋、そして”哲也”で麻雀を覚えた、俺と兄貴を加えての卓だ。
どういう話の流れだったか覚えていないが、対局中、俺が奇声を発した。
「ちょんわちょんわ~(クエックエッ)」
キ○ガイの妄言としか思えない読者様がほとんどだろうが、もう少し話を聞いてほしい。
実際、俺もこのネタが伝わるとはハナから思っちゃいなかった。
伝わろうが伝わらなかろうが説明なしで小ネタを飛ばす、俺の悪癖だ。
しかし、麻雀牌をツモろうとする親父の手が、その言葉を聞いた瞬間ピクッと止まった。
親父が驚いた顔でこちらを見る。
「お前、”どおくまん”知ってんのか?」
俺のほうも一瞬驚いたが、すぐに思い直した。
ああ、そうか。伝わるはずだ。
70~80年代にかけて人気を誇った漫画家集団、”どおくまんプロ”。
代表作は”嗚呼!!花の応援団””なにわ遊侠伝”など、ヤンキーやヤクザを題材にした、バイオレンスとエグい下ネタギャグ、そして人情が売りの漫画家だ。
俺がさっき発した奇声は、どおくまんのギャグの中でも鉄板のそれだった。
マンガオタクで、しかも同年代が知らない古臭いものに興味をそそられる俺は、たまたまそれを知っていた。
しかし、親父からすれば、年代的にも、題材的にも、ド真ん中ストライクの漫画家。
それが、どおくまんだった。
「そうかそうか、お前もどおくまん知ってんのか。古いのによく知ってんなあ。おもしれえだろ、どおくまんは」
うれしそうに親父は話しかけてくる。
親父のほうから本格的にマンガの話を振ってくるなんて、生まれてはじめてのことだ。
俺は困惑しながらも、うれしいと思った。
俺が好むようなサブカルには無縁だと思っていた親父と、まさか話が通じるとは。
俺からすれば、サブカルの一つ。
しかし、親父にとっては、青春の思い出。
認識こそ違うが、同じコンテンツを親父と共有できたことが。
なんだか、とても、うれしかった。
「ああ、言ってもまだ”なにわ遊侠伝”を少ししか読んでないけど。機会があれば、”嗚呼!!花の応援団”も読みてえなあって思ってるよ」
「おう、読め読め。青田赤道(”嗚呼!!花の応援団”の主人公)はおもしれえ奴だぞお。ちょんわちょんわ~」
俺にならって、親父もどおくまんのギャグを飛ばしながら牌を切る。
頭に疑問符を浮かべるお袋と兄貴をよそに、俺と親父は笑い続けていた。
親父は、還暦を越えた。
俺も、アラサーといういいトシになった。
お互い、今更親子の思い出を作るなんていう齢じゃないだろう。
だが、できることなら。
次、実家に帰るまでには、”嗚呼!!花の応援団”を読んでみたいと思う。
子どもの頃にしゃべれなかった、サブカルに疎い親父との、サブカルの話を。
お互い、いいトシになったから今だからこそ。
できそうな気が、しているから。