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無形の福音。コンテスト落選に寄せて。



来る日も、くる日も、この日を待っていた。


受賞するものだと、頭から決めこんでいた。



― ― ―


俺には、何人かの友人がいる。
俺がnoteを始めるように勧めてきたそいつらは、俺の文章のおもしろさを買ってくれている。

記事が書き上がるたび、俺は友人たちに報告し、友人たちは記事への感想と賞賛を俺に送ってくれていた。



いつか記事を挙げた報告をしたとき、友人のひとりが俺に言ってきた。



「おもしろかったよ」

「どうやったら、もっとたくさんの人に読んでもらえるんだろうね」



津田沼という男だ。


俺がnoteを初めて以来、津田沼はいつも、俺の存在が世間に広まることを望んでいる。


「俺は世間に叫びたいんだよ。俺たちの友達はこんなにおもしろいんだぜ、こんなにおもしろい記事を書くんだぜ、って。君自身にもそれを叫んでもらいたいんだよ」


言葉は悪いが、ある種のプロデュース欲求だろう。津田沼は事あるごとに、どうすれば俺の記事が広く読まれるようになるのかという議論を持ちかけては、色々な案を俺に示した。



「またその話か、しつけえなオメーも」


だが俺は、津田沼のプロデュースに乗り気ではなかった。
それどころか、その手の話題になるたび、あからさまに邪険な態度をとっていた。


「俺は別に、そこまで広く知られたいとは思っていねえよ」


自分の文章のクオリティに自信がない、というわけではない。むしろ逆だ。


賞賛してくれる津田沼の、百倍どころの話ではない。

津田沼の千倍、万倍、いや、億倍。

自分の文章のクオリティに、俺は傲慢なまでの矜持を抱いている。


だが、それは俺自身と、俺の親しい人間がわかっていればそれでいいことだ。ネット上の見ず知らずの他人に押しつけるようなモノじゃあない。


第一、目指すべきはあくまで記事自体のクオリティ、ひいてはそれによって得られる、自分自身への信頼だ。
イイねを頂戴したりビューの数が増えるのは嬉しいが、それはあくまで副産物でしかない。そういう他人の評価を目的にすると、自分がつくったモノのおもしろさと、自分自身への信頼に不純物が混ざりだす。


それは、大げさでもなんでもなく、自分の魂を誰かに売り渡すことにつながりかねない愚行だ。



津田沼に悪意がないのはわかっている。
純粋に、自分のおもしろい友人がもっと有名になってもらいたいという、ただそれだけの話だろう。


だが、俺に脚光を浴びてほしいという津田沼の欲求は、当の俺にとっては危ういものだ。
津田沼の欲求をそのまま自身の欲求とすることは、承認欲求の奴隷に身を堕す危険をはらんでいる。


中身ではなくイイねとビューの数を誇り、通知が来ないとたちまち禁断症状を起こす、あさましいことこの上ない姿。
下腹だけが膨れたがりがりの、精神的な餓鬼亡者。



その姿は、俺自身が思うもっとも醜い俺の姿であり。

それでいて、もっともそうなりうる可能性のある、俺の姿だ。



だからこそ、俺のプロデュースに躍起になる津田沼の意見を、俺はいつも聞き流してきた。


自分のつむぐ文章のおもしろさ、ひいては自分という人格への、盤石の信頼を培うため。
他者の評価に一喜一憂する、惰弱であさましい精神を己の裡から叩き出すため。



そのために、敢えて。

俺は、他人の評価を切り捨てようと努めている。

いっそ、傲慢であろうと努めている。


すべては、一歩間違えれば承認欲求の地獄に堕ちる、タイトロープを渡り切るために。



― ― ―



去年の暮れ、ひとつの記事が目に止まった。



記事を一読してすぐに、閉店した近所の寿司屋について書きたいと思った。


あの寿司屋の常連だった身として、せめてもの餞(はなむけ)を贈ってやりたい。

もし受賞となれば、俺が広く知られるという津田沼の望みが、少しは叶えられるかもしれない。

何より、傲慢なまでに誇りとしている、俺の文章のクオリティがどこまで通用するのかを試してみたい。


師走の仕事が一段落ついたその日は、ちょうど応募締切日だった。

その一日だけを使い、粛々と、しかし猛然たる思いを秘めて、キーボードを叩き続けた。



最後の一文を書き上げた瞬間、心臓が跳ね上がった。


すげえのが出来た、と思った。
未だかつてない、手応えを感じた。

動悸の加速が止まらない。
それどころか、体まで震えだした。

出来栄えの良さにハイになるどころの話じゃない。
あまりの手応えに慄(おのの)き出すなど、記事を書き始めて以来はじめてのことだ。


止めどなくあふれ出るアドレナリンにがたがた体を震わせながら、記事の投稿ボタンを押した。




友人たちのグループラインで、記事を上げたことを報告する。

やがて、津田沼からの返信が届いた。


「読んだよ」

「どうだった」

「おもしろかった」

「そうか」


しばらく間が空いた後、俺が続けた。


「手応えが半端ねえ」

「うん」

「体の震えが止まらねえ」

「うん」



「やべえ、受賞するかもしれねえ」

「受賞するだろうね、コレ」

「そうなったら俺、有名になっちまうかもしれねえぜ。お前が願っていたとおりにさ」

「そうなったら君の友人として鼻が高いね」



「津田沼、俺さ」

「うん」

「天才かもしれんわ」

「知ってる」


この瞬間、俺たちは世界一傲慢で、しあわせな男たちだった。



― ― ―


二月になった。

毎日、noteの通知を気にするようになった。


コンテスト公式には、結果発表は二月”上旬”としか書かれていない。
つまり、二月の頭にいきなり結果が発表されることもありうるはずだ。


あの記事は、受賞する。

あれだけのクオリティに仕上がった文章が、受賞しないなどありえない。

あれだけの記事を書き上げた俺こそは、受賞するにふさわしい。

そう確信しているからこそ、落ち着いて待つことができない。


心静かに沙汰を待つなどまっぴら御免だ。

一分でも速く、受賞の福音が聞きたい。

一秒でも速く、栄誉のシャワーを全身に浴びたい。

どうせ結果は見えているんだ。焦らさなくてもいいだろう。


認めてくれ。

評価してくれ。

祝福してくれ。

今。この場で。即刻!!



ロクに記事も書かないくせに、noteをひらいては閉じ、ひらいては閉じを繰り返し、通知を待つだけのその姿は。


あれだけなりたくないと思いつづけてきた、承認欲求の餓鬼以外の何者でもなかった。



― ― ―


二月十六日、審査結果発表。


その日も、通知は来なかった。





来る日も、くる日も、この日を待っていた。

受賞するものだと、頭から決めこんでいた。


泣きたくなるような不本意が、実生活で打ち続いていた。
だから、どうしても報われたかった。

他に何の取り柄がなくても、文章だけは誰にも負けない自信があった。
だから、それだけは認められて然るべきと思っていた。


何かのカタチで、報われたい。
何かのカタチで、認められたい。


自己憐憫にまみれた俺の哀願を、感情持たぬ現実はまたも無造作に蹴散らした。





今回も、得られなかった。


またしても、俺が思い描いたとおりの結果にはならなかった。






ふふふ、と。

ひとりでに、笑みがこぼれた。




自分でも驚いた。

この笑いは何だ。あまりにもあさましい俺自身への嘲りか。
違う。この笑いの質は自嘲ではない。むしろそれとは逆の質、腹の底からの笑いだ。

しかし、なぜ笑える。
今回も、俺は得られなかったのに、何故。



理由を考える間もなく、次から次へと笑いがこみ上げてくる。

やがて、考えるのをやめて、笑った。

腹の底から湧き上がる衝動に身を任せて、げらげらげらと笑い転げていた。



ただ、わくわくしていた。

おもしろいと思った。

ありがたいと思った。



どうやら、次があるらしい。

どうやら、まだ先があるらしい。


次とは何だ。先とは何だ。そんなもんは知らん。さし当たってはまた面白い記事書いて、ついでに次の審査員の度肝でもブチ抜くことにしとけばいい。

とにかく、まだ終わっていない。書き続ける限り、終わっていない。それだけは確かだ。
その結論だけを、頭をトバして体が理解している。理屈をトバして直観している。

その感覚だけで充分だ。



「まだ終わってらんねえよなあ、バカ野郎が」


そう独りごち、ラインを立ち上げる。

送り先は津田沼、内容は当然コンテスト落選について。

プロデューサー気取りのあいつは落胆するかもしれないが、そう捨てたもんでもないと言ってやろう。





得られなかったというのに、なお。



傑作を書き上げたときに溢れ出たアドレナリンが、またしても俺の体をがたがたと震わせている。









※追記

受賞にこそ至りませんでしたが、私の記事にしては結構な数のスキを初見・常連の方問わず頂戴しました。
精魂込めて仕上げた文章を評価していただけたことは何よりの喜びです。ダイレクトなお褒めのコメントを複数頂いたこと含め、大変にありがとうございます。

また驚くことに、コンテスト期間中に紹介記事を作成していただくとともに、記事内で最大級の評価を賜りました。
重松ジョウさん、この場を借りて改めて御礼申し上げます。

今回の記事で書いたのはカタチ無き祝福ですが、有形の祝福もまた大切に頂戴しております。コンテスト応募記事を読み感銘を受けてくださった皆様方、大変にありがとうございました。
仕事の都合でなかなか時間が割けませんが、それでもまた何か書くと思いますので気が向いたら読んでやってください。


それでは、また。