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ORANGE HEART SWIM IN BLACKHOLE.


飲み会帰りの風景と、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの楽曲
”暴かれた世界”
”スモーキン・ビリー”
の歌詞に着想を得たものです。


― ― ―


職場の飲み会が三次会になだれ込もうかというとき、俺は皆に向かってイチ抜けを宣言した。

手持ちのカネが底をつきそうだったこともある。
だが、カネ以上に、カラダが持ちそうにないと感じていた。

一次会の居酒屋でも、二次会のラウンジでも、誰よりも笑い、誰よりも笑わせた。
上司の、同僚の、お付きの女の子の、それぞれの話を広げては爆笑をさらい、話を聞いては猿のように手を叩いて笑っていた。


盛り上げるためのピエロになるのは、嫌いじゃない。
ただ、何事にも限界はある。
財力にも、体力にも、気力にも。



”パーティは終わりにしたんだ”



(ここいらが潮時だな)


ラウンジの女の子とげらげら笑いあいながらも、アタマの片隅の醒めた部分では、そう考えていた。



店を出てもまだまだ意気軒昂な一行を前に、俺はすまなそうに顔をしかめて手刀を切った。


「お前、ここで抜けるなんて反省文モノだぞ」
と笑いながら言う上司に、


「それ朝イチの朝礼で読み上げますんで、乞うご期待!!」


間髪入れず切り返して皆の笑いを取り、別れの挨拶に代えた。



”ピース・マークだけで
すべて片付ける奴にあきあきしてる”



皆に背を向けて、歩きだす。
歩きだしてから間もなく、ヘラヘラした笑みを貼りつけていた自分の顔が、急速に醒めきったツラに変わっていくのを感じた。



俺の家は、飲んでいた繁華街からさほど遠くはない。
繁華街を抜け、川にかかった大橋を渡って少し歩けば家に着く、2km足らずの行程だ。
タクシーを使うまでもない、むしろ酔い醒ましにはちょうどいい位の距離。
いつものように、俺は歩いて帰ることを選んだ。


歩く、歩く、歩く。
コンビニでクレープを買い、繁華街の客引きをかわし、カフェの営業札がOPENからCLOSEにひっくり返るのを横目に、クレープを齧りながら、ひたすら歩く。


クレープがなくなった頃、大橋に差し掛かった。
暗い川面に囲まれたなか、オレンジの街灯に照らされて薄ぼんやりと浮かぶ大橋は、どこか現実味を欠く存在に見えた。


もし、黄泉路(よみじ)があるとしたら、こういう感じなんだろうか。


他愛もないことを思いながら、大橋の歩道を歩き続けた。



ぼんやりと闇に浮かぶオレンジの大橋を、ぼんやりとした気分で歩く。


現実感のないオレンジの道の、半ばまで来た、そのあたりで。


ふと、立ち止まった。


左右の川面が、気になった。
街灯と、建物の灯りを映す、川面が。


右の川面は、もう一つ向こうの大橋のオレンジの街灯と、停車するパトカーの、せわしなく明滅する赤いランプを映し出している。
左の川面には、川沿いにずらりと立ち並ぶマンションの灯りが映し出されている。


灯篭流しのようだと、思った。



死者への弔慰をこめた、果てるともなく流れ続ける、灯籠の群れ。



だが、川面の灯りはゆらめきこそすれど、そのまま流れゆくことはなく、その場にとどまり続けていた。



歩道を歩く人間は、俺以外には見当たらない。
時折通るクルマは、七秒経てば消え去る排気音を残して走り去っていく。
二本向こうの鉄橋をわたる貨物列車が、ガタンゴトンと呟いているのが聞こえてくる。
ゆるやかに吹き続ける生ぬるい風に、薄雲は音もなく散らされていく。



”暴かれた世界は
オレンジのハートを
抱きしめながらゆく
とぐろを巻く闇”



闇に浮かぶオレンジのなか、独り、立ち尽くしていた。


立ち尽くしたまま、流れない灯籠を見つめ続けていた。


静かで、からっぽな夜だった。


何もせかさない、何もさわぎ立てない、やさしい夜だった。





もう少し近くで、この灯りを見てみたいと思った。


大橋のたもとの河川敷、その前に行けば、真正面から川面の灯りをみることができる。
寄り道になるが、それでもかまわない。


オレンジの道が終わり、街灯の残り香だけが照らす大橋のたもとに足を踏み入れる。
そのまま左に曲がると、ジョギングロードに出る。街灯など一つたりとも見当たらない、ただただ暗い道だった。



通勤カバンを右手にぶら下げ、ポケットに左手を突っこんで、闇の中をぶらぶらと歩く。
やがて、土手を切り拓いて作られた石段に差しかかった。河川敷に降りるための階段だ。



十数段ある石段の、半分近くまで降りたところで腰掛ける。
目の前には、マンションの灯りと、明滅するネオン看板の光が、ゆらゆら揺蕩うばかりで流れない灯籠たちを、川の端まで伸ばしていた。



ポケットから煙草を取り出し、左手で庇いながら火を点ける。
じりじりと音をたてて、煙草の先端が紅く染まっていく。
ゆっくりと吐き出した煙は、湿った空気のなか、西のほうへ重々しく流れていった。


”ヤニ黒焦げた 夜の左手
描き出したんだ
『愛という憎悪』”



故郷(クニ)に戻って、四年になる。



それまでは、十年、東京にいた。



文化も、知性も、教養も。
自分の求めるモノが何ひとつない故郷が、嫌で嫌で仕方がなかった。


齢が十に達したあたりで、東京に行こうと決めていた。
生きているうち、必ず一度は”ここ”を離れよう。
この国で一番の大都会に行こう。
そして、できることなら、”そこ”で生きよう。


その決意のまま、大学進学を期に、そのまま東京に居着いた。
”そこ”は、文化と、知性と、教養の集中する、自分が思い描いたとおりの理想郷だった。
憧れつづけた人生のパーティ会場に、やっと入場できたと思った。



戻るつもりは、なかった。



だが、数え切れない因果の積み重ねは、再び俺を”ここ”に引き戻した。



自分の求めるモノが何もない、それでいて、自分という存在を育み、かたどってくれた、故郷。
愛したくても愛せない、そのくせ、他人に蔑まれると烈火の如く怒りが噴き出る、どうにも始末に負えない場所。


どうしていいか、わからなかった。
自分の手には、負えないと思った。


だから、断ち切ることにした。
俺と故郷にまつわる、その、つながりを。


だが、断ち切ったはずのつながりは、実はしっかりと生きていた。
つながりによって、俺は故郷に呼び戻された。



パーティは、唐突に打ち切られた。



来る日も、くる日も、途方に暮れた。
理想郷だった”そこ”を追われ、この先どうやって生きていけばいいのか。
あとは、朽ちて死ぬのを待つだけなのか、と。



あれから四年、俺は”ここ”で生きている。
食っていけるだけの生計(たつき)の道と、心を許せる友を得て、昨日も、今日も、生きている。
棄てたはずの”ここ”に拾われて、見限ったはずの”ここ”に生かされている。



俺は、”ここ”で、生きている。



川面に映ったゆらめく灯籠は、彼岸に向けて流れていかない。




川面の灯りの源に、目を向けた。


立ち並ぶマンションたちは、何十戸にも及ぶくらしの光を投射している。
明滅するネオンの看板は、ささやかな経済の存在を証明している。



川面を見ようという気は、いつの間にか失せていた。


目の前の光を、見つめ続けていた。


左手に持った煙草の煙を、西にそよがせながら。



”悲しくなんてないし
香港のガラス張りの
ビルが輝いたくらいで”



「――パーティは、終わりにしたんだ」


歌の最後だけをつぶやいて、俺は煙草の火をもみ消した。
吸い殻を携帯灰皿に入れ、カバンを掴み、ゆっくりと立ち上がる。


石段を登る途中、俺が渡ってきた大橋が見えた。
闇に囲まれて浮かび上がる、現実味のない、オレンジの道。



”暴かれた世界は
オレンジのハートを
抱きしめながらゆく
とぐろを巻く闇”



オレンジに照らされた大橋を見据えながら、俺はもと来た道を歩き始めた。

通勤カバンを右手に持ち、ポケットに左手を突っこんで。

ぶらぶらと、ゆっくりと。




まっくらな道を、歩こうと思った。