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親子二代に渡って祟られている。


「末代まで祟る」という言葉がある。
死してなお許さない、という意気込みを表した言い回しだが、許さないつもりの本人がまだ生きているとなれば、なおさら許すつもりはないだろう。


和解の余地なし。
譲歩に値せず。
だめだと言ったらだめだ。
帰れ。


末代ではないにせよ、少なくとも二代に渡りそういう態度をとられ続けている。


― ― ―


俺の住んでいるアパート隣の一戸建ては、メス猫を一匹飼っている。名前は知らない。


そのメス猫が、なぜだか俺に対して愛想が悪い。


家の裏手でうとうとと微睡まどろ んでいても、俺の姿を視認した瞬間にバッと立ち上がり身構える。
こちらが彼女を刺激しないようにことさら無視していても、向こうはこちらを凝視し続けている。気の緩みで目が合えば、最低でも三歩はにじり退がる。その状態でこちらが一歩でも歩み寄ろうものなら、脱兎もかくやの勢いで視界から消え失せる。

かくして、一方的に警戒されまくったあげくに遁走された、あわれなオッサン一匹がその場に取り残される。
俯瞰でその光景を見れば、うなだれた俺の右下あたりに「劇終」の二文字が浮かんでいるに違いない。


あくまでこれは、俺に限った話だと思われる。
遠目から見ている限り、彼女は他の人間にはおおむね愛想が良い。少なくとも、人間が視界に入った瞬間警戒モードに移行するという野生丸出しのムーブをかましたことは、俺が知る限りでは俺以外には無い。

一度など、アパートの他の住人が彼女の喉元をなでているのを目撃したことがある。喉元をさすさすやられながら、彼女はいかにも上機嫌でゴロアァ~ンとあられもない声を上げていた。
いやあかわいいですねえと俺が近寄っていった瞬間、彼女はゴロロロrと、器用にも”r”の部分で喉を鳴らすのをやめて俺を凝視してきた。
喉をなでていた住人も俺を凝視してきた。


俺はその場から退散した。


― ― ―


言うまでもなく、猫は警戒心の強い動物だ。
犬と比べれば一発でわかる。飼い犬は初見の人間には最初こそ吠えつくが、こちらがビビらず適切に親愛の情を示してやれば、それなりにコミュニケーションがとれるものだ。
だが猫は違う。飼い猫だろうなんだろうと、奴らは自分のテリトリー外のオブジェクトをすべて危険物とみなしている。
俺も実家では猫を二匹飼っているからよくわかる。さっき自分のテリトリー”外”と言ったが、特に警戒心の強い一頭に至っては、テリトリー内である家の庭ですらおっかなびっくり歩いているくらいだ。

人間からすれば滑稽だが、おそらく奴はこう考えているに違いない。
今日の庭が昨日と同じ庭という前提がまずおかしいのだと。


昨日は何もなかった今日の庭に、外敵やトラップが無いとなぜ言い切れる。
昨日と同じように今日も安全だと、どこの誰が保証してくれている。


安全を保証するものなど何一つない。そういう前提で奴は世界を見ている。
だから、ヒトにはいつもと同じに見える庭でも、奴は抜き足差し足で慎重に歩いている。

猫というのは、本来がそういう生き物なのだ。


― ― ―


警戒を怠らない猫の習性を知っていた俺は、彼女とのファーストコンタクト以来、不干渉の立場を貫いていた。
個体によって差があるとはいえ、基本的には警戒心の強い種だ。猫好きの俺だが、猫を好きで猫をよく知っているからこそ、彼女に好意を押しつけてはいけない。向こうがこちらに慣れて心を開かない限りは、そっとしておくのが一番良い。

そう心に決め、顔を合わせてもこちらから迫ることは一度もなかった。



だというのに、4年経っても態度が軟化しないってのはどういう了見だ。



ふざけんじゃねえこっちゃ極力お前の心情を害さないように努めてきてんだよアパートの駐輪場で俺のチャリンコそばでお前が寝そべってるときなんか自転車のスタンドすら上げずに無音で運ぼうとしてたんだよだのにお前ときたら目が覚めた瞬間はぐれメタルもかくやの勢いで逃げ出しやがって俺の気遣いも知らねえでこの野郎いやメスだったから野郎じゃねえな失礼このアマ。


他の住人には惜しみなく愛想を振りまいているのに、俺に対してだけはこの仕打ち。


理不尽だ。

理不尽の極みだ。

もう勘弁ならねえ。


俺は最終手段を採ることを決意した。


― ― ―


ある日の仕事帰り、彼女とアパートの駐輪場で出くわした。

俺を視界におさめるなり警戒モードに入る彼女に対し、俺は何食わぬ顔で自転車を停め、その場を離れる。
ここまではいつも通りの流れ。だが、今日はここからが一味違う。

アパートに入る直前、俺は彼女の方を振り返った。案の定こちらを凝視している。

その位置でしゃがみこみ、彼女に目線を合わせた。
互いの視線が一直線上で結ばれている。

その姿勢で、彼女に目線を合わせたまま。


ゆっくりと。

じんわりと。

スローモーションで、まばたきをくり返した。


猫が心を許した相手に向けて送る、親愛の情を示すサイン。

それを彼女に向けて、何度か、何度も、くり返す。

スローモーションで、くり返す。


彼女は、その場を動かない。

強張った表情を変えないまま、サインをくり返す俺を見つめている。


ひとしきりサインを出し終えたあと、俺は きびすを返して今度こそアパートに入る。

アパートのドアをくぐって閉める瞬間、もう一度だけ彼女のほうをちらりと見る。


表情はわからない。

わからないが、彼女はまだ、こちらを見ていた。




それから数日後、もう一度彼女に会った。

彼女は、逃げなくなっていた。


― ― ―


一週間前、アパートの外に出たときのこと。
彼女を飼っている家のほうを見やると、見慣れぬ小さいモノがこちらに背を向けていた。

仔猫だった。

産まれて間もないと見える、小さく、細いカラダ。その体表は、彼女と同じ灰の虎模様。
明らかに、彼女が産んだ仔だった。

家の裏手で水を飲んでいたその仔は、こちらの気配に気づいたのか振り返り、俺を視界に入れるやその場で身を固くする。
そのままハーッと鋭く息を吐き、精いっぱいの威嚇をくり出してきた。

飼い猫とはいえ猫は猫、まして産まれて間もない仔猫のことだ。見慣れぬ生き物を見て緊張するのは当然の反応だろう。むしろ、仔猫ゆえのその反応がほほえましい。


そう思いながらその場を去ろうとしたとき、俺の足は止まった。

予感にも似たある考えが、脳裏に去来したからだ。



今の威嚇は、本当に”仔猫ゆえの”反応だったのか?



もう一度さっきの方向を見やると、そこにはおびえた様子の仔猫。
そして、彼女がいた。

彼女を見た瞬間、予感が確信に変わる。
そして、その確信のまま。


彼女もこちらに対し、ハーッと威嚇をかましてきた。




あ、ああ。あああ。

なんてことだ。間違いない。

俺の勘違いであってほしかった。だが、どうあがいてもこれで間違いない。




このアマ、自分の仔に俺のことを

「こいつは信用ならないから近づいちゃダメな奴よ」

って吹き込みやがった!!!!!



― ― ―


結局、なし得たと思った和解は幻想だった。
むしろ仔猫が産まれて以来、彼女の反応は前より険悪なものになっている。ついでに仔猫は相変わらず俺を見るたびハーハー威嚇をかましてくる。いっそ楽しんでんじゃねえのかお前と勘ぐりたくなるくらいだ。


原因も解決策も見当たらない理不尽さに打ちひしがれるなか、ネットに流れる有名な画像が脳裏に浮かぶ。




ネコと和解せよ



主よ。

無理です。



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