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間違えない参拝のやり方

8月15日(木)あの日の空と同じく快晴

8月のこの時期
晴れ渡る青空を眺めると
79年前のこの時期も
同じように
この清々しい空を見ていた人たちがいたのだなと
想いを馳せる

その青空が一変し
空から爆弾が落ちてくるなんて
想像もつかない<ありえない>出来事
それが戦争

79年前、人間の周波数が
そのような現実を創り出していたのだろうと思う

子どもの頃
戦争に関する本に夢中になり
「はだしのゲン」はもちろん
東京に住んでいたので
東京大空襲についても熱心に調べたことがある

戦争を体験した人々のエピソードを読み
涙し、様々な人間模様に一喜一憂していた

その経験から
戦争に関する<夢>を見るようになり
うなされたりもした

だから、8月の前半は
夏を楽しむというよりも
戦争のことばかり考える子どもだったのです
(変な子ども)

そして、
3月になると
東京大空襲のことを思い出し
空から爆弾が落ちてきた真夜中の時刻になると
毎年そのことを考える

そんな話をサイキックヒーラーの友人に話したら
「ともこさんは、戦争孤児だった過去世があると思う」
と言われ
もし私が第二次世界大戦の経験者だったとしたら
<生まれ変わりが早すぎるのでは?>と思ったが
そういうこともあるそうだ

そう言われると
「確かに…」
そのような経験をしたような気さえしてくる
ただの思い込みかもしれないが
それを受け入れると
それは自分の中で
<事実>になる

ある時、先祖供養のために訪れた浅草寺でのこと
そのヒーラーの友人に
「今、先祖供養で浅草にいるんだけど、
ここは浅草だから
戦争で亡くなった人たちに
お線香をあげたり、お祈りしてもいいかな?」と尋ねた

すると、友人は
血相を変えて
「とんでもない!絶対にしない方がいい」と即答

なぜなら
戦争で亡くなった方々は大勢いて
供養されていない霊魂が
未だにそこら中にいる
供養されたくて彷徨っている

そこで私が安易に供養したら
「供養してくれる人がいるぞ」と
多くの霊魂たちが
私に寄ってくるのだそう

「それをあなたは受け止められますか?」という話

おそろしい

おそろしい

安易に参拝するのは
おそろしいことなのだ

霊魂を受け止める責任など考えず
<祈りたい>という
自分のエゴ

霊魂たちは
たった一回の祈りでは成仏できず
もっと祈ってもらわないといけない

それをわたしが責任をもって
引き受けることは
到底無理であり
安易に祈ってしまったら
受け止められずに
体調を崩し
人生がおかしなことになっていたと思う

ご供養は
お寺やお坊さんという
プロがきちんと勉強して行うものであり
安易に手を出すものではないことを学んだ

身内の先祖供養も
なかなか奥が深く
ご先祖様たちに
満足いただける供養ができているのかは
定かではない

我が家は
祖父母の三十三回忌も済ませているが
この先、孫の代が
きちんと引き継げるのか?!
わからないけれど
祖先を敬い、想いを馳せること
それを忘れずにいたいと思っている

そして<戦争を繰り返さない>という意識を持つこと
8月15日は
そのことを忘れない日にしたい

ヒーラーの彼女に教わった
<むやみに参拝しない>ということを
知ることができてよかった

神様も
ご先祖も
霊魂も
1度参拝したら覚えているのだ

けれども人間は忘れる

だから
忘れない場所以外は
参拝しないようになった

今、ロサンゼルスに住んでいるので
ロサンゼルスでは
我がご先祖の信仰と同じ
高野山米国別院に
毎年お参りしている

ここでは
目に見えない世界
そして、ご先祖様
そして、アメリカにいる神様にご挨拶している

79年前に思いを馳せると
敵国だったアメリカにいる自分が
不思議な気もした
2024年8月15日

本日も最後までお読みいただきありがとうございました

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