見出し画像

高校で交換留学をしたお話。

こんにちは!今回は私の原点とも言える高校時代について書こうと思います。

1.なぜ留学を高校時代にしたいと考えたのか。

これには2つ理由があります。

1つ目は中学時代英語が得意だったため、国際系の学校に行きたかったということです。そして、日本の英語教育に当時から疑問があり、それを将来変えられるようになりたいなという野望を中学生ながら、抱いていました(笑) また、異文化は私の知らないことをたくさん教えてくれ視野が広がったので、単純にもっと詳しく知りたいと思ったからです。

2つ目はみんなと違うことがしたかったからです。私の母校のオープンスクールに行った際、留年をせずに留学が行けるというところと担任の先生が外国人の先生というところにひかれて、留学したいと考えるようになりました。高校生で留学したという人は周りでも聞いたことがなく、だれもしていないことにチャレンジして、唯一の人になりたいと考えたからです。当時は自己を出すことにとても抵抗があり、自分らしさをなかなか出すことができませんでした。だからこそ量産型の人間になりたくないと考えたのかもしれないです。

2.留学先での挫折と成長

高校1年の1月。交換留学が始まります。
はじめての親元を離れての生活。
強制帰国したら、留年確定。         
そんな状況下で私はカナダのアルバータ州で一年間過ごしました。住んでた場所はホストファミリーの家で、学校は現地の高校に通っていました。   

まず、ホストファミリーは何度も日本人留学生を受け入れていたベテラン夫婦。それが一人っ子の私にとって「人と比べられる」初めての体験でした。
「前のAさんBさんは部屋にこもる事なんてなかったのよ。あなたは閉じこもってばかりで私たちと話したくないのね」と言われることも。
私は前にもお伝えしたように、一人の時間も1日の間で必要な人間です。ただでさえ「他人の家」で生活をしている且つ上手く英語で会話できないうえに人一倍気を遣う私はストレスが知らず知らずのうちにかかっていました。自分の思いをうまいこと伝えられないし、当時の私は人と距離を自らとることでしか、自分をコントロールすることができませんでした。なかなか情緒不安定だったと思います(笑)

しかし、そのストレスや悔しさとの葛藤が自分自身と向き合う時間へとつながりました。今私がここまで、過去の自分を俯瞰して見れるのは、その時の自分の立場を分析できたからだと思います。そしてその考え方が大学受験でも生かすことができています。

ホストファミリーは悪い人ではなく、とても良くしてくれた良い方々でした。しかし、私とホストマザーの性格が少々合わなかったため、うまくコミュニケーションをとれなかったことがしばしばありました。大学1回生の時に家族とともに再び訪れたら、とても歓迎して迎え入れてくれました。また会いに行きたいですね。

画像1

(左から父、ホストマザー、私、母、ホストファザー) 海外行きたい…😢

次に学校について。私が通っていた学校はキリスト教の公立高校でした。 まずこの時点でびっくり😲日本だと宗教が関連する学校は全て私立。しかし、カナダは国教がキリスト教。そのため、キリスト教の学校が公立でも存在することができるのです。

2014年当時、日本で電子黒板や一人一台端末なんて夢の夢だった学校現場でしたが、カナダは電子黒板で授業するのが当たり前。一人一台Macbookがあり、それで授業を受けたり、履修登録をすることが当たり前でした。

また、今は必修になっているプログラミング教育。当時のカナダではすでに行われており、私もコンピュータの授業でscratchやレゴロボットでプログラミングをして学びました。(半分くらい何しているか理解できてなかったですけど、プログラミングに使う言葉は簡単な英語だったため、しっかりプログラミングしてロボットを動かすことができました。(笑))

もちろん授業はすべて英語。田舎の学校のため、日本語を話せる先生はほとんどいません。(私と同じく留学してきていた日本人高校生は何人もいましたが) 前半のセメスターは授業についていくのがやっとで、レポートは翻訳機に頼りっぱなしでした(笑)しかし、後半のセメスターでは理科のテストでクラス1位を取るくらい理解できるようになりました。友達にも恵まれ、同じ授業を取っている現地の子たちがいろいろサポートしてくれました。さすが、多民族国家だなと感じました。

そして、もう一つ多文化共生を学校内で感じたのは外見。中高一貫校でしたが、中学生からピンクに髪を染めたり、メイクをばっちり決めてきたり、日本の学校で校則に縛られている自分の生活があほらしく思うくらいなんでもありでした。タトゥーを入れてたり、鼻ピアスをしている人だっていましたが、いい人達ばかりでした。人は見かけによらないです、ほんとに。

授業自体も知識詰込みのものも確かにありましたが、それよりも友達と一緒に考えたり、実験したりと知識を定着させる授業が多かったため、授業中に眠くなるということはなく、むしろ楽しんで授業を受けていました。なんか、いま話題の「主体的・対話的で深い学び」がカナダでは当時から行われていたんだなと今考えると思います。

そのほかにも授業は担当の先生の教室に移動して受けるとか、1時間目と2時間目の間に週2回フレックスタイムがあり、自分のしたいことを40分間できるという物でした。例えば手話、ジャストダンス、ヨガ、料理、ブラスバンドなど。毎週違う物をえらべたので、いろんなことを体験することができました。とにかく日本の学校とは違う環境に面白さを感じて、いろんな学校現場を見てみたいと思うようになりました。

3.   帰国後、国際×教育を意識するようになる。

帰国したのは高2の1月。久々に戻ったクラスはまだ半分がアメリカに留学をしていました。そして、ひさびさの日本の授業。先生が淡々と進めていく相変わらずの知識詰込み型だなと感じていました。それと同時に3年生から「International Understanding(国際理解)」という授業が始まりました。留学に行く前から、国際問題を扱った授業は少し受けていましたが、この授業でがっつり扱うことができました。下手し大学で学んでいる人も多い分野だと思います。留学で視野が広がった私は世界の問題をじぶんごととして、捉えることができるようになり、それを教育現場でどう生かしていくかを考えるようになりました。

大学のゼミは国際理解教育、多文化共生、グローバル教育が専門でより詳しく学び、今は学校現場でどうやって子どもたちに伝えようか模索中です。このように大学でも社会人になっても「国際」と「教育」を切り離さずに考えられるようになったのは、高校の留学がきっかけだと思っています。

確かに高校生の私は幼く、親にはとても迷惑を掛けました。しかし、あの経験が今の自分の一要素として働いていると思うと本当に高校で1年間留学してよかったと誇らしく思っています。

では今日はこの辺で! 
Thank you for reading!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?