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新人教育では手がかからない人ほどほっておいてはいけないかも

理学療法士になろうって人の多くは、患者さんに元気になってほしいって思いがある。だから勉強しようって気持ちは、比較的強い方だと思う。しかし、基礎的な学力や適性には個人差があり、知識習得や技術習熟のスピードは異なることが多い。

一般的に、新人教育というのは手かからない職員程ほっとかれがちである。手のかからない職員には、とっても優秀な人材と、育てようによっては戦力になりそうな人材が含まれていると思う。

 「きわだって優秀な人材」というのは(その語の定義からして)、企業の人事戦略などとは無関係なところでそれぞれ個性的な仕方でその才能を発揮しうる人たちである。だから、正直言って、彼らのことなんかは「ほうっておいてもいい」のである。
 問題は「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいいところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」(若者たちのボリュームゾーンを形成する部分)を日本社会が構造的に「潰している」という事実の方である。「支援すれば、大きく花咲く可能性」のある若者たちを「支援し、激励し、国力の底上げをする」という事業に日本のエスタブリッシュメントはさっぱり関心を示さない。
(中略)
「支援さえすれば、誰でも才能を開花させる」というのは経験的には事実ではない。けれども、それは「だったら支援する必要がない」ということではない。若々しい才能は脆く、弱い。恐怖によって、恫喝によって、不安によって、花開く前に失われてしまう。だからこそ、それは守らなくてはならない。いくら手立てを尽くしても守り切れはしないけれど、それでもできるかぎり守らなくてはならない。

内田樹『日本の人事システムについて』

私は、間違っても「きわだって優秀な人材」ではない。あまり先輩にも迷惑をかけなかったから(記憶を都合よく改ざんしている可能性もあるが)、もしかすると私も、また多くの理学療法士が、「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいいところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」なのかもしれない。

であれば新人教育では、ほっとかれがちな「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいいところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」にこそ、安心して働けるような支援が必要なのではないだろうか。

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