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鈴木千佳子の日記 ~がんばるひとは美しい~

今でこそがんばって生きている私だが、『がんばることが恥ずかしい』。そう思っていた時期があった。

それは中学2年生のときの、マラソン大会が始まりだった気がする。


たくさんの同級生が懸命に走る。この時点でなぜか、同級生を軽視していたように思う。

だから私は友人たちととろとろ歩いていた。
そのころ流行っていた目の粗い、大きめのクシを手にして。

「千佳ちゃん、ほら、がんばって!!」

PTAとして活動されていたのだろうか。近所のおばさんが、私に声をかける。

「きゃはは! 千佳ぁ、ホラ、がんばりなよ!」
「走れ~、走れ~、がんばってぇ」

友人に冷やかされ、私はおばさんを睨みつけた。
「うるさいなあ。ほっとけよ」

おばさんとしても、そんな態度が許せなかったのだろう。負けじと睨み返してきたのを覚えている。


そのあとも、がんばらない日々が続く。

たいして勉強もせずに、そこそこの偏差値、かなりの倍率の高校に合格した。

たいした努力もせずにけっこうな企業に入社して、社会人になった。バブル時代に合わせるように、私の怠けっぷり、生意気っぷりは、どんどん加速していった。


大人になり、結婚しても、怠け癖はなおらない。

「私、専業主婦だから」
と宣言し、夫を起こしたあと二度寝を楽しみ、友人から誘いがあれば飲みに出かけ、夫が仕事から帰ってくるまで昼寝をし、夕ご飯の支度が面倒だといっては出前を頼み、夫を置いて、旅行まで行く。


「ちょっとアンタいい加減にしなよ」

タイムマシンがあったなら、その場に行って、自分をひっぱたいてやりたいくらい、今思い出しても情けない。恥ずかしい。

がんばるひとは美しいなんて言える立場じゃないっ! と叫びたいくらい恥ずかしい。でも自分で決めたテーマだから書ききらなくては。

今もがんばるときなんだっ! と決めてがんばろう。


ダラダラと生きるのはもったいないな、と思い始めたのは、また恥をさらすようなものだが、今からたった9年前、なんと43歳のときである。


2011年の3月1日。千年に一度の大地震といわれた東日本大震災の10日前、私の父は亡くなった。癌だった。


手術をしたものの、けっきょく癌は全身に転移し、父は死ぬちょっと前までずっと、
「痛てえ、痛てえ」
と呻いていた。

私も姉も妹も、父のそばで泣くしかできない。


看護師さんは、少しだけ声を詰まらせて、
「意識は混濁してしまいますが、眠らせてあげましょうか」
と、父の点滴になにかを入れた。

説明は受けたけれど、私はそれがなんだったのか、今でも思い出すことができない。でも徐々に、徐々に、父が静かになっていったのだけは覚えている。

「もう……」
看護師さんは、再度息を詰まらせて、こちらを見る。


そうなんだ。お父さんはもう、死ぬんだ。


父の枕元に立っていた私は、ベッドの向こう側に座る、姉と妹を見る。そして私は笑ってしまった。
彼女たちは、父に向かって、手を合わせていたからだ。

「なにさ、もう死んじゃったみたいじゃないの」

自分の言葉は覚えているが、姉と妹がなんといい返したかはやはり覚えていない。

彼女たちも、私がそういったことを、きっと覚えていないだろう。

けっきょく私たちは泣きながら、父を看取ることができた。よかったな、と思っている。


父の死をつれづれに書いてきたけれど、ダラダラ生活をやめよう! と思ったのは父のおかげ、ではない。

だって私はもうそのとき、ダラダラ生活を脱していたからだ。


父がなくなる前年、私は小説を書き始めた。猫との出会いと別れ、的な小説である。


文字をつなげる楽しさ、つなげられないもどかしさ、けれど、表現したい言葉が浮かび、ぴったりと合わさったときの喜び。

そして作品の最後に打つ『。』


その感動を味わったから、私は、もっと書きたい! と思った。

そう思えたから私は今も、こうして書き続けている。夢を描いて、書き続けている。夢を実現するぞと、がんばっている。


がんばることは美しい。がんばっているひとは美しい。ひとは、美しく生きたいからがんばるのかな、などとも考える。


父の死に触れたのは、まあ、キッカケといえなくもないかもしれないなと思っている点と、なんとなく、父のことを書きたくなったからである。

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