大学卒業をへて過去と今を結ぶ
こんにちは、村上翔平と申します。
今回は私事ですが、大学を無事卒業することができましたので、編入をへて今自分が振り返ることのできる2年間を振り返っていこうと思う。
こんな機会もなかなないので、プライベートなところまで赤裸々に綴っていこうと考えている。
短期大学への進学
私はそもそも高校が進学校で『大学受験は当然するもの、考える前に目の前の勉強をすることが当たり前、大学に入ってから遊べばいいから今は勉強』という感じが当たり前でした。
しかし、私はどうもそれだけで大学に行きたくなかった。
未来の4年という期間をなんとなくで決めなければならないのか。
そう思い、ずっと興味のあった、美容の世界へ進むことに決めた。
しかし、当然ながら周りは大反対、母には『そんなものになる為に育ててきたわけではない』とまで言われた。
その言葉だけ聞けば、美容師を含む多くの美容従事者に大変失礼な言葉であるが、息子がいきなり将来博打に出ると言われたらそういうのも当然だろう。
当初から現在まで美容関連の職種は稼げないし休みがない職種であるというイメージが強く実際そうである。
だが、私の中ではある種アバウトだが明確なビジョンがあった。
今も変わらぬなりたい自分
ここで現在も思い続けている私自身のビジョンについて話していく。
興味と衝動に正直に、綺麗事で生きていきたい。面白い人間でいたい。
ただ、それだけしかない。それを具体的にした目標はいくつもあるが全ての始祖はそれである。
だから、好きではないことはやらない。自分に馬鹿正直に生きていく。
それは今まで唯一ブレないところだ。
美容短期大学進学と編入学という選択
親の反対を押し切りなんとか入った短期大学、入った瞬間から次の挑戦は始まっていた。学校に通っていれば嫌でも国家試験やそれに付随する資格は取ることは簡単にできる。もっと大きな誰にでも伝わる大きな功績を残さなければいけないと感じていた。このまま美容師にならないのであれば何ができるのか。
それが4年生大学への編入学であった。実は高校の時点でそれは考えていて、元々興味のあった経営について学びたいと思っていた。
これに関しては親の賛成もあり、確実に成功させる覚悟があった。
もちろん大変なこともあった。多くの人は就職する中でただ一人受験勉強するのはかなり大変であった。その他の人は最後の学生生活の残された時間を豪遊する中でただ一人勉強しなければいけない。
そしてそれをクリアして、無事三年次編入することができた。
大学生活スタート
いよいよ大学生活がスタートそれに伴い一つ始めたことがあった。それが美容室勤務である。
この時点で美容室勤務でこれからも稼いでいこうという気はそんなになく、美容の現場を実際体感することで気づきや課題が見えてくるのではないかと考えた結果の行動であった。
美容室選びに関しては正直重視しているポイントは自分の融通が効くか、ただそれだけであった。
基本的には土日以外は出勤できない。勉強になる講習や話し合いは平日でも参加したいなど、全ての条件をのんで貰うことを条件にサロン見学、すべてを受け入れてもらえるサロンを見つけた。
そんな感じで、無事美容室勤務はできることになった。
いよいよ、美容師としての基礎は固まった。
一方の大学生活は三年次編入、勉強していたとはいえ、まるで違った生活に途中から参入することとなったことや知らないシステムの中での評価に戸惑いと萎縮を感じながらのスタートとなった。
意外にもこの生活に慣れることは容易で、楽しくやれていた。
そんなこんなで、一年が過ぎ就活も始まった。
私の中でもっとも難解だったのは就職先をどこにするのかという問題だった。
残念ながら土日を中心とした美容室で技術の全てを学ぶのには限界があり、ほとんど不可能であった。だから早々に美容師を諦めることはできなかった。
一方で大学新卒用の就活も同時に始めていた。
特に入りたい会社ややりたい職があったわけではない。ただ、それは自分自身が知らないだけかもしれない。調べていくうちにやりたいことが見つかるのかもしれないそう思い、興味の強い業界のインターンシップや面接に臨んだ。しかし、その中で会う人や企業には全くもって興味や関心が湧かなかった。
その中で、もし新卒就職したら、給料が安定し、世間体も多少はよくなるのかもしれないな。そのくらいの気持ちで就職したら、スキルもたまらないまま転職することになりかねない。
それだけは避けるべきだとわかった。
そこで私は大きな決断に出ることにした。
美容室への就職
そして私は美容室への就職を選んだ。
理由は大量にあるのだが、大きく分けていくとこれらであろう。
無に帰る環境への疑問
見えすぎる将来
やりたくないことの連続的恐怖
一つ一つをこれから解説していくのだが、簡単に言うとここで就職したらつまらない没個性の大人になってしまうことが怖かった。
ということである。
私はこれまで数多くの分岐において流されずに自身で答えを導き出してきた。
しかし、ここで世間体を気にして安定をつくことを望んでいるのは紛れもない自分以外であることに気がついた時に絶望した。
本当に今自身がしなくてはいけないことは何なのか。
それを知るために過去を見て、何を想いここまで行動してきたのか見直してみた。
そこで気づいたのは現在の大枠のセグメントでは言い表せない職になりたいのだと。
具体的には現在の美容市場は人気や憧れはあるものの、現実問題給与や待遇・将来的期待が他の業界に比べて圧倒的に低い。
しかし、この恵まれた時代に人々の欲求に間違いなくマッチした職でもあるという矛盾があった。
その流れの解消法と現在の問題点の炙り出し・排除と限定されたターゲットだけで回る資本に終止符を打ち、市場をより大衆のものにする。
コレがおそらく一生かけても成せないであろうが、私が真にやりたい職業であった。
ならば、このスタート段階をどこに置くべきなのか?
間違いなく個の力が最も強くなるものにしなければいけない。
また、業界の構造に乗っ取り自分の存在を発信しなければならない。
ならばやるべきは間違いなく美容師であった。
そうと決まりやることは一気に増えた。
念頭においてきた、新市場の創造と新たな美容師像の提案を早速やろうと考えた。
私は自分自身がこの業界に入るきっかけにもなった、メンズ美容市場ここを軸に今後の展開を考えた。
まず、新たな市場創造は美容になるべくお金をかけたくない人をいかに安くオシャレにするか、を考え、今美容市場を支えている、美容室や美容商品が好きな人だけでなく、熱意やお金はそこまでないが、やれるのであればオシャレになってみたいそんな層は必ずいてくすぶった思いを言語化して解決まで導いてあげれば、必ずコレからも今まで以上に興味関心や欲が出る。
また、美容市場から離れていく層もいる。
それは何故なのか、その追求をしていった。
その辺りに関しては今度じっくり書いていこうと思う。
その解決案の一つとしてチームでのSNSの活用やアプリケーションの開発なども行なっていく。
美容師と新市場創造の両輪が回り始めた。
そう決めてから今に至る。
その後も、美容学校で経営を教える外部講師をやることや、知り合いの起業の手伝いなど、幅は広がってきたが、あくまでも本業にする気はない。
ここまで話してきて自分は2年という短いようで長い期間、様々な考えや計画が思い浮かび、捨てては作ってを繰り返してここにいるのだと理解した。
そして、今も昔も他人とは違う道が好きで、変人を貫いて今がある。そう確信した。
今となってはこの自分こそホンモノであると考え抜いた末にようやく言えよう。
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