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「朝陽が昇るまで待って」Vol.2【無料】

生朗読アーカイブはこちら→JACO10水曜日

森ノ宮咲多郎という男に会ったのは、奥渋の宇田川町にあるバーだった。
昼間はパンやスイーツを中心のカフェとして女性に人気の高い店らしく、内装が少女趣味で、各テーブルに灯るキャンドルが揺れ、深夜とはいえ、自分が場違い過ぎていたたまれなかった。が、森ノ宮が現れた瞬間、その俺より場違い度合いがはるかに上にも関わらず堂々とした態度でこちらに闊歩してきたので、俺の居心地の悪さは一気にかき消された。
森ノ宮は俺の向かいに座ると、揺れるキャンドル越しにじっとこちらを見てきた。

「ああ、なるほど」
「え?」
「うん、うん、うん」
「なんですか」
「はいはいはい」
「なんすか」
「出来そうだわ、君」
「できそう?」
「スケジュールは大丈夫かな。今回、全日ついて欲しいんだわ、2週間。主演女優が拘り強い人で違う人間に触
られんの嫌がるんだな。ギャラまけてもらったからその辺の我儘は聞いてやらんといかんのでね」
「あの、すみません。何のお話でしょうか」
「なんのって君、仕事でしょう」
「仕事」
「ヘアメイクさんでしょ」
「はい…」
「これ、企画書ね」
「ミュージカル…?…あ、仕事の発注、てことですか」
「他に何に聞こえます?」
「…」
「…」
「…へぇ」
「へぇって」
「あ。…あ、すみません!あの、お仕事でしたら、その、喜んでお引き受けさせていただきます!」
「うん、最初からそういうつもりで俺も来てるからね、今更、へぇって返されてもね」
「すみません、ちょっと今、違うこと考えてて」
「君…。なんか大物感あるねえ。テルミンが推薦するのも分かるわ」
「あ、推薦したんですか」
「当たり前でしょ、でなきゃ俺来ないでしょ。台本と衣裳デザインはこれ。で、演出家との打ち合わせは月末に
セッティングするから」
「騙された…」
「ん?」
「いえ、なんでも」
「あと、これ」

森ノ宮は、小さな箱をテーブルの上に置いた。
木製で赤茶色。宝石箱みたいなやつだ。

「これは?」
「返しとくわ」
「…」
「取り返してこいって言われたでしょ、テルミンに」
「はい」
「要件は以上。なんか質問ある」
「あなたが…元彼、ですか」
「そうみえますか」
「いえ」
「だよね。そんなわけないですよ、俺ね、こう見えて女好きなのよ」
「どう見ても女好きです」
「だよね」
「これ、なんですか」
「開けてみれば」

木箱の蓋を開けると、中に鍵が入っている。

「鍵…?」
「テルミンの部屋の鍵」
「…俺、持ってますけど」
「今住んでる部屋じゃないよ。もう一個持ってんの。別荘というか、隠し部屋みたいなもんかな」
「隠し部屋…?何のために」
「行ってみれば分かりますよ。でも気を付けてね、タンスから元彼の死体が出てくるかもしれないですから」
「は!?」
「冗談ですよ」
「やめてくださいよ…」

森ノ宮の言葉は妙に俺の胸に刺さった。
俺はテルミンのことを知っているようでよく知らない。
今までどんな人間と付き合ってきたのか、そして別れてきたのか、本当に知らない。
だけど、テルミンの心の奥には灼熱のナイフがある気がする。
人を殺しかねない危うさ。まだ、俺の前では見せないけれど…。
その隠し部屋とやらに、死体を隠し持っていても冗談じゃないと思わせる狂気が、たしかにある。

                                                 

千人が帰ったのは深夜2時を回ったころだった。
「ただいま」
「ずいぶん飲んだのね」
「全然飲めなかったよ」
「取り返してきた?」
「騙すなよ」
「なんの話?」
「元彼じゃなかった」
「あら、どうして」
「とぼけんなよ」
「取り返してきたんでしょ」
「隠し部屋の鍵ね」
「それが、元彼。その部屋に彼を閉じ込めてるから」
「やめろよ、そういうの」
「本当よ」

千人は不機嫌になってバスルームへ行ったわ。
あんな彼は久しぶり。仕方ないわね。私は今、彼の心を試すようなことをしている。
誰だって、試されるのは不快なものよ。
だけど、これだけはやってもらわなければならないの。
でなきゃ、私は前に進めない。後ろにも、戻れない。
真っ暗なトンネルの中で立ち尽くしているの。
どこかに光を見つけなければ、出ていくことはできないわ。


「テルミン。まだ仕事してんの」
「次の本。明日顔合わせだから」
「もう10回くらい読んでるじゃん」
「まだ32回目だから」
「そんだけ読んだら充分でしょ」
「バカね、全然足りないわ。50回は読まないと分からないのよ、本の輪郭は」
「本の輪郭ってなんすか」
「作家の気持ち、書いた時の状況、心情、意図。息遣い」
「そこまで分からなきゃ仕事できない?」
「分からなきゃ、じゃない。分かりたいの」
「もう寝ようよ」
「リビングで読むわ」
「一緒に寝ようって」
「おやすみ、電気、消すわね」

甘えられるたびに頑なになる。
私は自分が手に負えない。素直じゃない自分が。
人はよく私を計算高いという。ずる賢いとか抜け目がないとか、恋愛に関してはあまり褒められたことはないわね。けれど私はいつも精一杯なのよ、本当は。
愛してる?って聞かれたら、一秒も空けずに答えられるわ。愛してる、って。
だけど一度も口に出したことはない。
誰にも。

                                                                                                

「おやすみ」

って、言われるたびに、テルミンとの距離が開くのを感じる。
ベッドに入って秒でこの言葉を言われると、関係を保つ意味を感じなくなる。
じわじわとエンドロールが流れ始める、みたいな。
終わりに向かっていく言葉だ。

森ノ宮さんから預かってきたあの鍵の部屋に、明日行ってみようと思う。
住所はあの木箱の裏側に貼り付けてあった。
本当にタンスの中に男の死体があったら、俺は逆に安心するかもしれない。
テルミンの体に熱い血が流れていると感じるから。
抱き合うことでは分からなかった、熱い血を感じることができれば、きっと俺に何ができるかが分かるだろう。
本当に愛しているのかも。
これから、二人がどこへ行けばいいのかも。

                                                                                                    

「純朴な青少年を試すようなことをしちゃあ、いかんな」

咲ちゃんは相変わらずわざと、顔合わせ5分前に意地悪を言う。

「今はその話、しないで」
「彼、いい子じゃない。もうそろそろ決めなさいよ」
「いい子だから決めないのよ」
「こっちもこれ以上付き合ってられないからね」
「よく言うわ、私にどれだけ借りがあると思ってんの。これ以上うるさく言うとあんたのいろいろ、バラすわよ」
「怖いこと言わないでよ。おっと、ちょっと待って。…もしもし、ごめんごめん稀ちゃん。今からね、顔合わせ
なの。うん、うん、そっかそっか。じゃあ今日はお祝いだな!うんうん、こっち終わったら連絡するよ。迎え
に行くからね、待っててね」

純朴は青少年を試しているのはどっちなのか。
咲ちゃんは純愛を気取っているけれど、相手の女の子は試されていることを知っている。

「さっさと切りなさい、始まるわ」
「じゃあね~、愛してるよ♡」

愛してる。
愛してる…。
よくも簡単に、言えるものだな。

「そうだ、テルミン。シアター浪漫シティさんが打ち合わせしたいって、来週」
「なんで」
「来年の春、創立50周年らしいわ、あそこの劇場。それで記念公演打ちたいらしいのよ」
「良い話じゃない、受けましょうよ」
「それがさ、支配人がさ、河上譚を使ってくれって言うのよ」
「譚…?」
「きっついんだよなあ、譚、最近チケット売れないからなあ…」
「…」

河上譚。
その名前を聞くと、今でも心臓がぐっと締め付けられる。

「分かった、あとで聞かせて」
「ようし、時間になりました。では、顔合わせ始めます」

人は何度も、何度でも、
錆びついた過去に心臓を擦られるのだ。
今の、私のように。

つづく

映画『渋谷行進曲』(2021年4月~公開予定!㈱SCT)のスピンオフとして2021年1月~3月、JACOFes実行委員会主催のJACO10水曜日‟mosaique-Tokyo"にて吉木遼、松谷鷹也を中心に生朗読を披露。noteで3話の有料公開をスタート。全7話。2021年3月31日(水)に最終話を公開します!

最終話公開に先立って、第一話と第二話を無料公開!

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