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もうひとつの「20歳のソウル」斗真の物語②

  浮いている。
その感覚は登校初日、教室に入ってからずっと感じていた。いや、教室に入る前から、校門に入るずっと前、駅を降りて歩くうちに、いや、もっと前だ、家を出たとたんに…いや、違う、この制服に袖を通した時から、ずっと感じていた。
明らかに、僕は周りから浮いている。
ここは、僕の居場所じゃない。
この制服は、僕の着るべき服じゃない。この、どうしようもない違和感。
高校受験の失敗がこれほど自分を苦しめることになるとは思っていなかった。

  作曲家の父親の影響で僕は子供の頃からずっと音楽の世界に浸って生きてきた。最初に触ったのはピアノらしいが、僕は覚えていない。けれど、父が弾くメロディを耳で覚えて弾いていたらしい。才能があると思ったのか、両親は徹底して僕に音楽を仕込んだ。というより、二人ともあまり家にいなかったから、僕が退屈しないように次々に楽器を買い与えた、と言った方が適切かもしれない。小学校に上がるとヴァイオリンを習い、その次はサックスにハマった。オーケストラをあらかた勉強し、中学に入る頃には作曲もやり始めた。どれも面白かった。難しいことなんてなかった。高校受験を控えた夏、一番のめり込んだのはドラムだ。中学時代、気の合う友人がいなかったからバンドを組むようなことはなかったけど、スティックを動かしていると無心になれた。すべてを音の中で弾けさせて自分を肯定できた。僕は音楽と共に生きる、そう勝手に決めていた。
当たり前のように音大附属高校に願書を出した。両親は反対しなかった。
けれど、その頃だ。父親にもう一つの家庭が存在していたことと、母親が彼氏の子供を妊娠していたことが分かったのは。
 先に発覚したのは母親のことで、受験直前のクリスマスだった。一体何が起こっているのか理解しがたかた。ただ一つ覚えているのは、父親が妙に冷静だったこと。父の事が明るみになったのは、母が彼氏の子供を流産して、彼氏と別れてボロボロになってしまった時だ。離婚しようとしていた父は母の状態を放っておけず、あげくに不倫していたもう一つの家庭の奥さんが乗り込んできて修羅場になった。結局、さんざん言い争った後で、父はその奥さんと別れて、両親は元の鞘に収まった。

こんな話を淡々とできるのは、僕の性格上の特性かもしれない。

 僕はあまり両親に興味がなかった。もともと他人に興味がないのだ。楽器を触っていれば楽しかったし、一人で過ごすのは苦ではない。両親はそんな僕を理解していて、僕の部屋には次々と楽器や機材が増えていった。だが、さすがにあの年末のゴタゴタは、「興味がない」では済まされないレベルだった。僕は両親の争いを聞かないようにしていたが、完全に無視もできない。頼むから怒鳴るのだけはやめてくれ…。そう願っていたら、耳が聞こえなくなった。突発性の難聴というやつだ。

「左の耳が聞こえない」

 そう告げると母親が血相を変えて僕を病院に連れて行った。(この時ばかりは、彼女も母親らしかったと思う)三週間足らずで治ったが、結局、第一志望の試験に落ちた。まともに受験する事すら出来なかったのだ。
 その頃の僕は、耳だけじゃなく心も麻痺していたようで、悔しいとも悲しいとも思えず、ただ、ぼんやりとしていた。高校浪人だけはさせられないと、いくつかの願書を母親が持ってきたので、クジを引くようにでたらめに一枚引いた。それが市立船橋高校、通称「市船」だった。
 合格通知を手にしてもなにも感じなかった。
 感じたのは今朝だ。「市船」の制服である学ランに袖を通した瞬間。
 僕はその時初めて感じたのだ。両親への怒りを。

 「イチフナ来たのは、たまたまなんだよね。偶然っていうか」
入学式を終えた新しいクラス。騒めきの中で、その声がピンと耳に入ってきた。
「あれだな。くじ引きしたらここだった、みたいな感じ!」
 僕は思わず振り返った。自分と同じことを考えている奴がいる。僕の斜め後ろに座っている男子が前の席の女子に話しかけている。
「くじ引き?」
女子が聞き返す。
「うん。だってさ、俺もともと習志野行くつもりだったから。習志野じゃなければどこでも良かったんだよね」
女子は明らかにムッとしていた。
「私は市船に来たくて、ずっと目指して来たんだけど」
「そっか、ごめん」
その男子はヘラっとした笑顔で詫びた。
 習志野、か。「美爆音」で有名な吹奏楽部がある。僕は吹奏楽にはあまり興味がないから詳しく調べたことはないけれど、コンクールでは全国大会常連校だ。
「浅野くんは、吹部に入るの?」
 女子が言う。こいつ。浅野っていうのか…。浅野は、前髪を指先で引っ張りながら
「入るよ、もちろん」
と呟いた。
「くじ引き感覚で来た人に入って欲しくない」
 女子は少しも笑わずに答えた。“浅野くん〟は、女子を怒らせていることに気づいているのかいないのか、にっこり笑った。
「いや、このクジはすでに当たってるね。少なくとも、ユッコちゃんに会え  
 たから」
「なに、それ」
ユッコちゃん、と呼ばれた女子はちょっと頬を赤らめて俯いた。
……変な奴。
入学早々、最も苦手なタイプの人間を見てしまった。僕は視線を戻した。くじ引き、なんていうから思わずシンパシーを感じてしまったけど、違う。全然違う。教室に担任の教師が入ってきて、浅野とユッコとの会話もそれきりになった。

 一通りの行事が済んで、校門付近は新入生とその家族でごった返していた。他の生徒たちは友人や家族と写真を撮ることに忙しそうだ。けれど僕は友人どころか家族さえいない。一人は慣れているし、写真を撮りたいわけではないのだが、こういう場で一人でいるのは気まずい。さっさと帰ろう。駅までの道をまっすぐ歩くと同級生たちと一緒になる。なんとなく煩わしくて、わざと反対方向へ歩き出した。よく知らない道だけれど、歩いていればどこかには出るだろう。

 真っ青な空に春の陽が輝いている。
一日目にして、僕の気持ちは重くなっていた。退屈という憂鬱が波のように寄せて返す。なんの刺激もない。味もない。砂を噛むような毎日をこれから過ごしていくのだろうか。川のせせらぎが聞こえた。遠くに橋が見える。車道を横断して並木道に入った。
「……」
桜だ。
川に沿って真っ白な桜並木が、ずっと続いている。風にのってヒラヒラと雪のように花びらが舞い落ちていく。
高校、やめようかな。 
落ちていく花びらを追いかけながら視線を道に落とした。いつの間にか、足を止めていた。次から次へと花びらは舞い落ちてくる。僕は無意味にその数を数えた。
ドン!
ふいに肩に誰かがぶつかった。
「!?」
「ごめん!」
後ろから駆けてきたそいつは僕の目の前で両手を合わせた。
「大丈夫?」
あ、浅野。
思わず声が出そうになったが、やめた。浅野は僕の目を覗き込むように見てもう一度、大丈夫?と聞いた。
「うん、平気」
「よかった!」
そう言うと、浅野はにっこり笑った。
「大義!」
道の向こうから二人が駆けてきた。体のでっかい奴と、ヒョロっとした小さい奴。
「急げ大義、間に合わねえぞ!」
体のでっかい奴が、額に汗をびっしょりかきながら浅野の腕を引っ張った。浅野は、僕に笑顔を残したまま、二人と一緒に駆けだした。
「…」
僕は三人の姿が、桜並木の中で小さくなっていくのをぼんやりと見送った。
「なんなんだよ…」
苦手だ。本当に苦手だ。
特に、あの笑顔。社交性120%みたいな明るさ。人懐っこさ。違いすぎて、疲れる。僕はゆっくりと歩きながら大きなため息をついた。やめたい、本当にやめたい。今すぐ、やめたい。頭の中でそのワードがグルグル回転を始めた。
まさか、あいつが人生で初めての「親友」になるなんて。

桜の花びらがヒラヒラと、僕をからかうように舞い落ちた。


※現在公開中の映画『20歳のソウル』第一稿をもとにした佐伯斗真のスピンオフ。映画用に作った斗真の裏設定を元に描いたストーリーですので、こちらの小説に登場する人物・エピソードは、中井由梨子が創作した架空の人物・物語であり、実在の人物、市船とは全く関係のないフィクションです。




 

 

 

 

 

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