プロローグ

さて自分語りの物語を書く前にまずは私の事を書かないとね

1983年9月17日産まれ。3人兄弟の末っ子として3800グラムで産まれました。長兄とは10歳。次兄とは8歳離れています。男3人兄弟です。3800グラムですが、一番小さく産まれました。兄二人とも4000グラム越え。長兄に至っては逆子だったらしいです。

父親は兄二人を連れて見舞いに来ていたそうですが、面会時間終了のアナウンス聞いて普段言う事を聞かない父親がその時は素直に聞いて帰ったそうです。父親が帰ってすぐに私は産まれたそうで、7時3分だったみたいです。父親は兄が産まれた際は仕事していて病院にはおらず、長兄は逆子、次兄の際は大量出血で危険だったみたいで、私の際は病院にいたのに、産まれた際にはいなかったというミラクル。今では笑い話です。

産まれた時の話はこれくらいにして、今の私はというと、IT企業のサラリーマンしてます。サラリーマンなんて自分に一番程遠い存在だと思ってたのですが、もう数十年勤め、チーム持ちのリーダー職です。小さなチームですが、課長の下という立場で働いてます

実は私2級障がいを持ってる重度障害者なんです。ここだけの話(別に秘密にするほどのものではないですが)正確には左上肢機能全廃という2級障がいです。

というのも13歳の時に脳こうそくになって、一度は寝たきりにまでなりました。入院時には一生車いすも覚悟しといてと言われましたが、ここまで回復しました。

本当にいつ死んでもおかしくないという状況で生きてきて、30歳まで生きれないと思ってましたが今こうして37歳まで生きてこれました。人に話すと大変な人生やったね。頑張ったねって言われますが、頑張った自覚はないです。前向いて生きるしかなかっただけなので、

昔って言っても小学校時代までですけど野球で一時代を築いた英雄だったりもします。地元では有名人。自分では地元チームの中興の祖と言ってます。物心つく前から野球をやってきて、チームに当たり前のように入り、大活躍。プロに行くとまで言われたけど、病気によって諦めさせられた。

まぁこういった部分も書いていければと思います。栄光を極めた男が人生のどん底に落ちる。でまたそこから這い上がる。まさに小説のような人生です。

けど私の生きざまを見て勇気もらえると言ってくれる方もいて、聞きたいという声もいただいてるので、こうして書く事にしました。

普通の生き方を諦め異端児として生きていく事を決めた壮絶なる私の生きざまです。

もしよろしかったらぜひ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?