【歴史コラム⑦】堺幕府

堺幕府というのをご存知ですか?元々は11代室町幕府将軍足利 義澄の次男足利 義維に対する呼び名で堺公方とも呼ばれます。兄12代将軍義晴一派を近江に追い出し権力を欲しいままにしていた人物です。堺で暮らしており、堺にいながら京の支配も得て次期将軍と約束されていたが、将軍就任はなされず、後見人だった三好家棟梁が自害に追い込まれ勢力瓦解。幕府は解散となってしまいます。息子は14代将軍となっています。三好家や松永久秀に担がれた将軍足利 義栄その人です。

でその堺幕府の中心にいたのが三好家。三好家私は結構好きなんです。堺市の大名というのもあって、真っ先に覚えた大名です。三好長慶。みよしちょうけいとよく言われますがながよしです。この時期の室町幕府将軍って権力者に翻弄され続けます。応仁の乱以降、将軍の権威はほぼなく、傀儡です。応仁の乱の際の将軍は第8代将軍足利 義政です。東山文化を作った文化人としては有名な将軍です。慈照寺こと銀閣寺を建立した人ですね。覚えてますか?彼の父親はくじ引きで選ばれた将軍足利 義教です。くじ引きで選ばれた将軍ですが能力は非常に優秀で、あれこれ全て自分でやっていたそうです。くじ引きで選ばれたから逆に張り切ったんでしょうね。で最後はその権力に反発した家臣に殺されてしまいます。そんな父を見た義政は張り切る事を辞めたのではないかと言われてしまいます。で子供ができず、弟に将軍継がすと宣言しておきながら子供ができ、嫁に言われるがまま息子を跡継ぎへと路線変更。それが権力争いとなり応仁の乱に。当の本人はもう息子を後継者に決めたから知らないと乱には関わらず政治の表舞台から消え、文化人となってしまいます。まぁここから目まぐるしく権力者が入れ替わります。細川家がまず政治の主導権を握り、その細川家を乗っ取ったのが三好家。でその三好家を牛耳ったのが松永久秀。主家を牛耳った三好長慶は家臣の松永久秀によって牛耳られた。歴史の皮肉です。

信長公も一目置いていた三好長慶。松永久秀の讒言によって優秀と言われた息子らを殺し、息子を亡くした事によってうつ状態になり、失意のまま亡くなっていきました。息子の家から宗家の養子をとってたので、息子の家も没落し、三好家は後々の繁栄がなくなりました。松永久秀おそるべしです。三好家の墓は堺市にあります。大相撲で大阪場所があった際、よく相撲取りが住まいにしている辺りにあります。まだ訪問した事ないのですが、一度訪問してみたいですね。

この堺幕府がもっと繁栄していたら我が町大阪・堺が中心になっていたのかな。明治政府ができる際、大久保利通が大阪遷都を大いに進めていたそうですが、江戸幕府ではなく、大阪遷都が実施されていたかも。織田信長公も大阪に城築こうとしていたそうですし。

まぁ現実に商工会議所は大阪に作られ、大阪が商売の町となってるんですけど、朝ドラで有名になった五代さんが強く要望し、大阪にできたんですよね。私は大阪生まれ大阪育ちですので、大阪が好きです。だから地方自治が進んでよりよい街になるように政治に期待してるんです。

歴史にIFはありませんけど大阪・特に堺という街は昔から重要な土地だった。だからこそもっと知ってほしいし、来てほしいです。世界遺産になった古墳も堺にたくさんあります。食い倒れと言われる大阪です。食事もいいですよ~。是非ともきてください。

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