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【創作】結露|アンドロメアは鳴り止まない


【創作】結露|アンドロメアは鳴り止まない


 ハイヒールが沈む感触をヴァニラエチカは知らない。正確には『積雪』を踏む感触が記録にも記憶にもない。自然現象を娯楽に変える人間の知恵も。
「レティシア」アンドロイドが積雪に脚を取られては笑い話でしかないが現在のヴァニラエチカは困惑の感情で実際に脚を取られている。
 ヴァニカ。レティシアに支えられて重心を取り戻す。ヴァニラエチカが慌てて佇まいを正す様子をレティシアは言い知れない心地で見ていた。
「慌てず騒がず。ヴァニカ、時間は逃げても現在は逃げない」「……畏まりました……レティシア」
 ヴァニラエチカは佇まいを正した。外皮温度を上げてレティシアに擦り寄り彼女が羽織っていた外衣も正す。ヴァニカ。ヴァニラエチカ。
「貴方が思う雪遊びをしてみせて」
 ヴァニラエチカは数秒思考し自己の尾先を積雪に接地した。ハイヒールを埋める積雪も203号機の外皮温度には敵わずただただ流れいく水滴に戻る。ヴァニラエチカは何度か実体を確かめるかのように雪原に接地を繰り返しては濡れた尾先をふるふる震わせて水滴を弾いた。
 ヴァニラエチカの『雪遊び』は自己体温が高すぎて人間の雪遊びには遠すぎた。
 ドラコの尻尾は水蒸気を立てて白い雪景色を更に白く染め上げていく。レティシアは言葉を挟むでもなく白煙たち登る日暮どきのキャンベルを眺めた。ヴァニラエチカの水蒸気もキャンベルの建築を登る白煙も同じく上層に向かい見えなくなる。ヴァニカ。ヴァニラエチカ。
「貴方の雪遊びは愉しい」「因みに」ヴァニラエチカはレティシアが両手に乗せて見せた物体を見て以前レティシアが切ってくれた林檎を思い出す。
「私たちの『雪遊び』はこれ。何かわかる」「……うさぎ……」自信があるのかないのか分からないヴァニラエチカの表情に微笑んで「せいかい」言葉を返す。
「ヴァニカのようではないけれど新雪を踏んで遊んだりもしたわ」「遊びに答えはない。もちろん人生にも。ヴァニカ。ヴァニラエチカ。貴方が私にくれたように私も貴方に指先ひとつのお返しをしましょう」
 本名もない『レティシア』に感情移入してはだめ。思い言いつつもあまりにも幼いヴァニラエチカに物事を教えたくなるのは悪いことだろうか。
「レティシア。これ……持っては帰れませんか」「大丈夫。暫く置いておきましょうか」
 雪解けが終わるまでの話だ。義体203号機がヴァニラエチカになった時に答えのない道筋が見えるまでの。
 レティシアが作ったうさぎが溶ける数時間のあいだ。
 ヴァニラエチカは興味深げに窓辺を眺めていた。