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舞台 「笑わせんな」

舞台「笑わせんな」
2024年2月8日から18日 14公演
下北沢 本多劇場
*2/8.14(マチネ).17.18に観劇

観るまではブラックコメディだから救いようのない惨劇かもしれないと正直思ってました。ティザーでも血あったし。実際「ひいっ」って言うような声があがったりもしたし(そのシーンは初日観た以降視線を逸らしたし、床に散らばる音でも充分心臓がキュッとなりました)
ぐりとぐらも公式でキャラクター紹介されるまではほんとまひろちゃんのような反応していて(笑)、確信していたのは“笑うんだろうな、笑っちゃうんだろうな”ということだけだったように思います。

初日の直後の感想(リンク貼れなかった)
その1:あーめっちゃオクイさん。オクイさんの世界だ。
その2:笑いに包まれる一方ですべてに伏線が張られていて、どんどん回収されていく爽快感。人間と人間関係の機微。そして忘れちゃいけないブラックコメディ。演劇と自分の感情とがっぷり四つの2時間でした!心地よい疲労感、でも演劇って楽しい!

だってラストシーン、めっちゃオクイさんって感じがした。紙吹雪舞うところやタイトルが上方に出てくるところとか。オクイさんのひととなりは知らないけど、わたしの思うオクイさんのイメージそのまま。
そしてChapter5に登場人物のキャラクターの素性や物語の大筋が伏線回収されていくというか線になってつながっていくのはもちろんだけれど、それまでのチャプターで聞き流したセリフや動き、ざらっと心に残った何かもきっと何かにつながっていると確信しちゃって(笑)、もう一度観たい!確認したい!脚本読みたい!と思いながら帰りの電車に乗っていました。

この作品はみる人の価値観によって受け止め方がちがうよなと思っています。それはどの作品もそうだし当然のことだけど、だからこそこの作品のおもしろさが出るように思いました。くすぐる・くすぐられるをどう感じるかってセンシティブな部分であり、人によってはセクシャリティなところに関わってくるし。Chapter2のオーナーに対するシーンとかみる人によってはDVと感じる人もいたんじゃないかな。藤原くんも“ただの暴力”って言っていたし。そういう危うさをこの作品は兼ね備えていたし、その部分にあえて触れているようにも思いました。
くすぐられて“反応する”ことをどう捉えるか、吉岡さんは“笑顔になる”、山田くんは“苦しい”(Chapter2)で全然ちがうふうに捉えていたもんね。これもまたこの作品の本質的なところだと思うし、おもしろいところだなと思います。

防犯も監禁も鍵をかけるという行為は同じで、それが僕とあなたの間でトリックアートみたいになってるんです!!

藤原くんのこのセリフ(記憶の中なので正確ではない)、ずっと心に引っかかってるんですよね。動きは一緒なのにその人の受け取り方によって別の意味(この場合は真逆)になるのはトリックアートだよね。
セットのトリックアートも然り。4とか3のは初め8にも見えていて、チャプターどのくらいまであるんだろうと初日は思っていたし、5はわかりやすいけどその分ワンコには見えにくい。ひとつの見方を意識すればするほどそれ以外の見方が難しくなる。ひとつの見方で見たら、意識しないと別の見方ができない。そういう人間のサガをグッと突かれたような気がしています。

カウンターにもたれたり
椅子に座ったりお水飲んだり
今回のセットでとても好きなところ
(開演5分前まで撮影可)
14公演がんばった満身創痍のドア
藤原くんが思いっきり倒したワゴン
千穐楽:カウンセリング→シャンプー
→ブロー(藤原くんのくちブロー)→お支払い で
気がつくオーナーの異変

2/14 マチネの感想ポスト:
2回目はセリフやセットや動きが記憶として残っていて、それが染み付いて濃くなっていく感じ。トリックアートでひとつの見方を見つけたらそういう風な見方をまずしてしまう、そんなことを感じました。いろんな見方、受け取り方があるのにね。

藤原くんもこの人はこういう考え方、この人はこういうことを望んでいる、それはちゃんとわかっている(美容師の持っているセンスだとも思うけれど)のに、自分のことになるとわかっていなくて。藤原くんが「くすぐりたい」衝動の奥底にあるものに比嘉さんから「しんどい」と言われて初めて気がつく、自分に対する別の見方が初めてできたんじゃないかなと思っています。

他にもいろんなことを考えました。
・藤原くんと山田くんのぐり/ぐらの関係は藤原くんの“同意”の関係であること(一方で吉岡さんと山田くんの関係は“合意”だと思っています)
・ぐり/ぐらサークルは相手が必要で、見方によっては承認欲求を満たす場(みゆちゃんはそうですよね)でもあること
・だからこそぐり/ぐらの欲求を満たせても自分の奥にある欲求が満たせるかというとそうではないこともあること
・ぐり/ぐらの関係は相手がいないと成立しないので「これで/この人で大丈夫!」という確信はいつまでも持てなくて、相手を信じるしかないこと(相手が自分を信じてくれているか確信が持てないので、これを信頼関係と呼ぶにはちょっとちがう気がしている)
・人間関係、特に欲求や願望に対するイニシアティブはその“相手を信じるしかないこと”によるということ
・同じ行動でも目的も思っていることも、そして口から出てくる言葉もその意味は本人にしか分からない(最終的なまとめ)
・トラちゃんが三池さんのことを自分の理想通りにしたくて暴走してしまったのは日常でも起こり得ること
・くすぐりっていうマイノリティなフェチズムだし、山田くんは性的マイノリティって表現されると思うんだけど、そもそも“普通”ってなんなんだろう
・トラちゃんが亡くなっているにも関わらず、それがオーナーも知るところにもなっているにも関わらず、藤原くんがあの場所を失いたくないと思うのはセリフ通り“無防備なひとに触れられる”からでもあり、藤原くんが本来持つ欲求を満たせる場(無防備なひとの反応を引き出せる場)でもあるからということ

あらためて文字にすると、いろいろ考えてるな(笑)
美容室というプライベートとオフィシャルが絶妙なバランスで存在する場所、トリックアートになっているセット、肝心のプレイが見えない地下などいろんな“境目”があって、それが演出によって曖昧になったり鮮明になったり感じられたのがとても好きでした。それから話が進んでいく中で天候がかわっていくところも。会話のとっかかりとして天気の話題も出るけれど、劇中で天候がかわってくるしそれがいろんなハプニングを引き起こすのもこの作品の好きなところでした。

公演がおわって思うのは、私たち観客も“笑わされてたなぁ”ということ。“笑わされてた”という言葉が適切かわからないけど、笑っていた。客席はぐらで、ということは演者はぐりってことかな。主演の浜中さんをはじめ、演者のみなさんがアドリブや表現力で笑わせてくるけど、その中でなにかしら閃いた瞬間が見えてアドリブ呼応があったり、今までアドリブの輪には入っていなかったひとが参加してきたりそういうのも楽しくてワクワクしたな。笑わされたというよりは演者によって反応が引き出された感じ。さっき“肝心のプレイが見えない地下”と書いたけれど、客席までが地下なのかもしれない。チケットもぎりのスタッフさんや物販の方など、美容室「SCHELM」の名札つけてたし。

空間はオープンで〜!(藤原くん)

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