妊婦になってもやもやして、本にすくわれた話
お腹の子はクリオネから二頭身のカービィ(エコー写真の中でこの頃がいちばん可愛いと思う)に進化し、さらには宇宙人へと順調に人間へ近づいた妊娠初期。つわりは9週ごろをピークに徐々に落ち着き、お腹は少しずつ膨らみ始めた。
お互いに気遣い損はやめよう
妊娠4か月に入る頃、家族・友人に妊娠を報告した。いわゆる安定期ではなかったけれど、隠し事が得意ではない私が妊娠3か月まで黙っていたのは頑張ったほうだと思う。
私の周りは既婚者や乳幼児が極端に少ないのもあって、友人たちは報告をとても喜んでくれていたけれど戸惑いもあったようだ。配慮したいけど、どう配慮したら良いのか分からない……という優しい戸惑い。
妊娠前の私も、友人の妊娠中に同じようなことを思っていた。つわりとか食べちゃダメなものとか断片的な情報があるからこそ、余計に接し方に迷う部分もある。足元が危ないからエレベーターにしようか?会うならなるべくゆっくり座っていられるカフェのほうがいいかな?などなど、気にしだすとキリがない。
そしていざ“配慮される側”にまわってみると、それはそれで戸惑ってしまった。私のことを思ってくれる気持ちはもちろん嬉しいのだけど、「実は私、思われているほど体調悪くなくて、けっこうな距離歩けるし、食事制限も少ないし、あの、せっかくお気遣いいただいたのにごめんなさい……」と心配を無下にしてしまう事態が多かったのだ。
私も以前はこんな感じだったのだろうなあと思いながら、友人たちには「妊婦の症状は人それぞれで、先回りして配慮するのは難しいから気を遣わないでね。何かあったら私からちゃんと言うようにするから」と伝えることにした。そうするだけでずっと過ごしやすくなった。
無知の知に至る
配慮する側・される側の両方を経験して分かってきたのは、自分も含めて「あまりにも妊娠について知らない」こと。さらに言えば「固定観念や噂など、科学的根拠なしに語られることがやたら多い」こと。
2021年の出生数は約84万人。つまり、それと同じくらいの妊婦が毎年存在する(多胎妊娠などもあるだろうけど)。規模感でいえば、山梨県の人口と同じくらい。ブータンの人口もこのくらいだ。
少子化と叫ばれて久しいが、街で妊婦とすれ違うのは珍しいことでもない。自分の母親だって自分を妊娠しているときは妊婦だったのだ。にもかかわらず、私はあまりにも無知だった。自分が妊娠して、やっと今“正しい知識”と相対している。
“妊婦”を記号化するのはやめよう
“正しい知識”と書いたけれど、それはつまり“自分が思っている以上に人それぞれ”という気づきでもあった。
例えば、妊婦はアルコール摂取厳禁と分かっているつもりでいたけれど、どういう危険性があるのか、洋酒入りのお菓子なら食べてもいいのかは全く分かっていなかった。
私が通っている産院では「少量の飲酒は問題ないが、かといって安全とされる量も確立されていないため控えるように」くらいの指導だった。医師や病院の方針によっても違うだろうし、妊婦自身のアルコール分解能力や禁酒ストレスとの兼ね合いもあるだろう。
Aさんにベストな選択が、Bさんに当てはまるとは限らない。当たり前のことなのだけど、妊婦とか妊娠とかいうフィルターを通すとあっという間に一括りにされてしまう。世間が作り上げた“妊婦像”が悠々と独り歩きしていることがあまりにも多くないだろうか。
ファンタジーをぶっ壊そう
上記のようなもやもやした気持ちを掬いあげてくれた本がある。川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』と、松田青子さんの『自分で名付ける』だ。
どちらも妊娠・育児エッセイ。前者は気持ちに、後者は社会問題に重きが置かれたような印象がある。
マタニティライフって、ハッピーキラキラなイメージがないだろうか。この2冊はそういった幻想を見事にぶっ壊してくれる。いかに不安に満ちた生活であるか、いかに理想の妊婦像を押し付けられているか。
読んだあと、すぐ友人たちにこの本を薦めた。自分のことを分かってほしい気持ちが全くないわけではなかったけど、私自身がこの本をもっと早く読みたかったと強く思ったからだ。できれば友人が妊婦になる前に読んでおきたかった。そうすれば、私ももっと彼女に寄り添えたかもしれない。
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