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なんとなく僕たちは大人になるんだ。

 SNSのプロフィール欄に、やけにスラッシュをつけて自己開示している人が、なんだか目についてしまいます。「〇〇高校卒業」とか、「スピッツ好き」とかならまだわかるんですけど「自分の未来は自分で変える」とかなんとか、標語みたいなものを羅列しているのは、「志望大学絶対合格!」みたく書けば叶う的なことなのでしょうか。
 
 もう人生で呆れるほど自己紹介をしているというのに、未だにうまくいったためしがありません。名前、出身地、好きな食べ物、最近の趣味……といった、ごく簡単な項目を一通り並べてしまえば、あとは自分が空っぽであるということに気付かされてしまいます。
 ずっと続けた習い事でもあれば、少しは違っていたのかもしれませんが、大好きだった絵も歌もやらなくなって久しいし、バンドや古着は好きだけど詳しいわけじゃありませんでした。だからいつも、ありふれた、自分の所属とか、最近見たドラマとかの話をして、別に語り合いたくもないけど「知ってる人は一緒に話しましょう」なんて適当なことを言ってしまいます。
 きっと、怖いんだと思います。歌を聞かせてがっかりされることや、知らないブランドについて聞かれて笑われることが。
  つまり、SNSのプロフィール欄に伸び伸び好きなことを書けるあなたのことが、わたしは、とても羨ましいだけなんですよね。


 話はちょっと変わって、わたしのかつての友人に、同じくバンドや古着が好きな子がいました。わたしの通う高校は田舎にあって、そういうものが好きな人があまりいませんでしたので、わたしたちはよくそれらについて語り合いました。
 語り合う、といっても、自分たちの持ち物を誉めあったり、最近聴いたオススメの曲を紹介したり、といっただけ。なにせ本当になにもない田舎なので、古着屋も、ライブもないのです。なので、東京に行きたいねえ、きっとなんでもあるんだろうねえと言い合ったものでした。

 高校2年生の冬に、わたしたちは修学旅行に行きました。行先は奈良や京都といった定番のコースです。彼女は違うクラスだったけれど、同じ場所で自主見学だったので、偶然会うと不満そうに声をかけてきました。
「あーあ、本当はもっと服とかギターが売ってる都会の街に来たかったな。わたし、田舎とか伝統とか、そういうの興味ないんだよね」
 わたしは、田舎も伝統もいいものだよとか、自分たちで変えていこうよとか、色々な気持ちを押しやって「そうだね」と言ってしまいました。わたしたちはちょっと似てるなと思っていたけれど、彼女とわたしの間、そこには越えられない壁があるように感じました。


 それからすぐに受験モードになり、勉強漬けの毎日の後、同じ県内だけど別々の大学に入りました。彼女は髪を緑色に染めて、真っ赤なギターを弾き、バンド仲間と遠征したり喧嘩したりしながら、なんだか楽しくやっているみたいです。年に何度かライブもやっています。わたしたちが憧れていた「田舎のライブ」を作り上げている姿は、本当に格好いいと思います。
 あの頃のわたしたちは知らなかったのですが、実はこんな田舎にも沢山のバンドグループがあって、彼女は彼らのライブを見に行って仲良くなり、一緒にライブを作り上げています。何もないと思っていたけれど、実は知らなかっただけ、ということが高校の頃はたくさんありました。高校のあった町にはボロボロのライブハウスが2つあって、その町でもよくやっているそうです。

 そんな彼女のライブを、卒業までに1度は見に行きたいな……。そう思って、なんとなくSNSを覗きました。そして、普段は見ないプロフィール欄に飛んだのです。
 「〇〇大学」/「〇〇サークル」/「古着」/「バンド名」/「好きなバンド」そんな彼女らしさに並んで、最後のスラッシュにはこう書かれていました。

 / 「 ローカルから革命を 」 /

 

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