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私たちは現代音楽を「見ている」のかもしれない

新しい学校のリーダーズというアーティストがいる。
「オトナブルー」という曲が有名らしく、テクノを思わせる旋律に少女たちが背伸びした歌詞がうまいことマッチしている。

わたしが彼女たちのことを知ったのはいわゆる「首振りダンス」の動画を見たときだった。わたしが真似をしたらおそらく首の筋を確実にヤッてしまう動きだったのもあり非常に印象に残った。
彼女たちは長らく音楽活動を続けていたものの、人気が出たのはTikTokなど動画配信サービスでバズったことが大きな要因だったらしい。

要は、音楽だけではなく動画を通じてヒットした、ということになる。その事実にふと、私たちは音ではなく動画を通じて音楽と出会っているのではあるまいか、と思いが至った。

最近のアーティストであればだいたいミュージックビデオ(MV)がある。YOASOBIなんかはアニメ調のやつがあり、髭男であれば世界観を投影した実写のものがある。
実写のMVはもちろん昔もあったわけだが、いきなりMVを見るのではなくCDやレコードで何度も聞いて、自分なりに音楽の世界観を作った後に「へえ、MVがあるんだ…」と気づくことが多かった。そして昔の音楽のMVは世界観が極めて謎めいていることもしばしばであった。

最近の音楽はYouTubeを通じて出会う、というスタイルになっているせいか、いきなり音だけを聞いて自分なりに世界を作るという経験があまりない。
逆にいえば、アーティストそれぞれの世界観がMVを通じてはっきりと可視化されている状態にあるともいえる。

それだけに、実は私たちは音楽を「見て」楽しんでいるのかもしれない、と思う。
その音楽を聴けばMVに映るあのシーンを思い出すというように、共通した映像を思い出せるようになっている。音楽しかなかったときには自分の人生や経験を音楽のしらべにのせて思い出したり、自分なりの世界を作ったりしていた。
それが不可能なくらい多様な世界観にあふれていることを現代音楽のMVは教えてくれている。

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