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【育児】親は子供の「生殺与奪の権」を握っている

「鬼滅の刃」という作品が一時期大変なブームになった。
流行に疎い私であるがさすがに少しは知っておいたほうがよかろうという気もして原作を読んでみたのだが、主人公が岩を破壊するのに成功した1巻を読み終えて満足してしまい、それきり読むのをやめてしまった。
映画の放映やアニメの放映もあったが一切見ることもなく、断片的に「全集中 水の呼吸」とかそんな類の言葉だけを知っている状態である。

そんな鬼滅の刃の名言のなかに「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という言葉がある。
いかんせん原作を読んでいないのでどういう文脈でいわれたのかは知らないのだが、言っていることはその通りだよなあと思いつつふと目の前で何も知らない顔で「えうー」「ぷーーあ」などと口にする娘を見ていると、親というのは小さな子供の生殺与奪の権を握っているということを否応なしに意識させられる。

世の中のニュースで親が子供を殺したという事件が報じられ、そのたびにむなしい気持ちになる。これは見方を変えれば、親は子供の命を「思うがまま」にすることができてしまうということの証左でもある。

積極的に命をあやめることがなくても、赤ちゃんにお乳をあげなければ餓死をしてしまうし、おむつを替えなければ不衛生で菌なんかが入って病気になるし、熱を出しても放っておけば弱って死んでしまう。「育児放棄」とか「ネグレクト」という言い方をすることもあるけれど、要は消極的でも子どもは亡くなる。

大げさな言い方ではあるが、親には子供の生存維持に向けた意思を持つことを義務付けられている。これは自然と生まれるものなのだろうけれども、様々な事情から自分の赤ちゃんを殺めてしまう親がいることを踏まえると、それも当たり前ではないのだろう。

生存を維持するということは人生を作るということでもある。
となれば、子どもを育てるということは子どもの人生を作るということでもある。
命という意味での「生殺与奪の権」を握っているのはもちろん、人間性や感性、人生観といったものの「生殺与奪の権」を握っている、ともいえる。

もちろん、子供も私たち親とは異なる人格であって、人生のすべてを思い通りにすることはできない(むしろ、ふつうは親の思いなんてほとんど叶わないものなのだろう)。
しかし、子どもが親から受ける影響は多大なるものである。「毒親」なんて言葉があるが、まさに子どもが親から「毒」のような影響を及ぼされたことを示す顕著なものだ。

親が子どものあらゆるものの「生殺与奪の権」を握っている以上、子どもに影響を与えることは避けられない。
ならば少しでも良い影響を及ぼさんと考えたとき、果たして自分が与えうる影響とはなんぞやと考えてよぎるのは、決まって幼年期の親の姿である。親から子供へ、そして大人になった子供からその子供へと「影響」は受け継がれていく。

仮に自分自身が親から望ましくない影響を受けたと考えるのであれば、その悪しき影響を自らの手で止めることが必要だ。毒親であろうが何だろうが反面教師として、自らが受けた”悲劇”を客観的に見てそして二度は繰り返さないとの思いを持つことが育児を改善し、社会をより良くするのだと思う。

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