見出し画像

15年ぶりに全国大会のメンバーで水泳のリレーを組んだ話【中】

とはいえ、私がちゃんと泳ぐなんてそれこそ全国大会に出て以来だから15年ぶりだ。
「100mのメドレーリレーなので25m泳げばいいだろ」と思っていたら、どうやら個人種目も出ないといけないらしい。

とりあえず、みんなノリで1分30秒でエントリーして100m個人メドレーに出ることになった。

個人メドレーというか100mなんてこの私に泳げるのだろうかーー出場をノリで決めたあとに猛烈な不安に苛まれたので、仕事終わりの時間を見つけて練習に向かうことにした。

近くにあるプールに行ってとりあえず泳いでみる。
最初1時間くらいみっちりやるかなどと考えていたのだが腕の筋力が落ちすぎて前半15分くらいで爆死してしまい、残り15分ほどは適当に泳いでものの30分ほどで早々と退散した。

水から上がっても体も足も重く、思うように動かない。
何より、バタフライを泳ぐだけで腕がもげそうになるのである。個人メドレーの最初の泳ぎはバタフライだから、これでは辰巳で25m泳いで誠に勝手ながら退散する可能性もあらんや、と猛烈な不安は増す一方であった。
選手のころのようにアップであってもちゃんと泳ぐとそれだけで体力を消耗して爆死してしまう。
自身の肉体に負荷をかけないと、肉体の衰えに気づくこともなく時間が過ぎゆくのだと痛感した。
こんな調子だったので週一回くらいのペースでとりあえず水に慣れるようにしてはいたのだが、こんなタイミングで運悪く仕事に忙殺されてしまい、いつの間にか試合の前日になってしまった。


試合の前日というのは子供のころ、死ぬほどイメージトレーニングをして完璧なレースを何度も想像して、そのうちに眠りについていたものだ。
しかし大人になると「とりあえず明日遅れないように」ということくらいしか考えない。というかイメージトレーニングをするエネルギーもなく数分で眠りについたというのが実態である。

翌朝Uくんとともに辰巳に向かった。会場に入ると変わらない塩素の匂いが充満していた。
アップをして、招集場に行って、UくんとTくんとたわいのない話をする。招集場はいつも大体こんなんだったなといたく懐かしい気持ちになりながら、レースを待った。

水泳では当然水着を着るのだが、男性であれば速いので基本的にはスパッツ(膝くらいまで覆う水着)を着ていることが多い。
だが私は面白半分でブーメランパンツ(三角の水着)を着ていった。後々T君と話した時に「丈で言えばお前が1番この会場で短かった」と激賞されたので結果的には良かったのだが、なにぶん布の面積が少ないので「きわどい写真を撮られている世のグラビアアイドルってこんな気持ちなのか」と意味もなく斟酌した。
また、周りを見ると試合では1人もブーメランパンツを履いておらず、マスターズという大会が思った以上にガチだったので、遊び心半分で試合に臨んだことを大変に申し訳なく思ったものである。

さて、いよいよ本番だ。
スタート台を前に緊張感が広がる。

全身からみなぎる興奮のようなものを無理矢理押さえつけながら、水に入ってからエネルギーを爆発させるーー小さい頃のイメージと、スタート台に立ってからは同じだった。
号砲が鳴る。
飛び込んでドルフィンキックを一つ打つと、私はある事実に気づいた。

「右足の人差し指、攣ったんじゃね―?」(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?