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振り返ればそこには越えてきた壁がある

努力して得た結果が、時間の中でいつの間にか環境になることは少なくない。

例えば、小さいころ必死に歩こうとしていたのに、いざ歩けるようになるとそれが普通になるような話だ。
考えても見てほしい。
普段の生活で「歩けた!」と喜ぶことが、健康な男女にまずあるだろうか。

ほかにも、受験に合格したときには一つの山を越えたように感じられ、それが非常に特別で「やってやったぞ」という気持ちになる訳だが、暫く経ってみるとその学校にいるということが、別段特別なことではないというような気がしてくる。

そうして努力する前に描いていた道は、いつの間にか環境の中に埋もれ、消えていくものである。
昔からあることわざに「初心忘るべからず」というものがあるが、その言葉は、そんな人の思いに寄り添ったものなのだろうと思う。

しかし同時にそのように努力を環境化してしまうからこそ、人は再び頑張ることが出来るのだと思う。いつまでも努力の結実した過去の栄光にすがり続けるばかりでは、人は前に進むことはできない。その人は「すごかったひと」で終わりだ。


過去とは、既に自分が歩んできた道のことだ。
後ろを向いて「あそこはいい道だった」と思いにふけるのもよいが、ずっと遠くに見える、鮮やかに照る花を摘みにでも出かけてまたそこに道を作る方が、よほど人生は有意義になる。
振り返るのはその道がゴールに近づいてきてから、つまりは老いてからでも遅くない。


かたや「その道があった」ということも忘れてはならないと思う。
自分がその道を歩んできたからこそ、今ここにいるのだという事を忘れてはならない。
その中で努力もむなしく、戦いに敗れたものもいる。
勝者はいつでも敗者に支えられた相対的なものにすぎない。
勝者であるからといって何をしてもいいわけでは当然ない。

自分の努力だけでその地位を得たなどと思い込むのは、誤解も甚だしい。
自信を持つことは大事であるが、謙虚に在り続けることが極めて肝要である。
努力を経て勝ち得た過去を環境化せず、未来に向けた努力を地道に続けねばならない。
生きている間に息つく暇などない。死を迎えたとき、はじめて息を吸えばいい。

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