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青春は、去りし日に気づくもの

高校のとき、私には一つの疑問があった。
「いま生きている日々は、果たして世間がいうところの『青春』なのであろうか」
と。
今になって思う。
あの日々は、間違いなく青春であった。

毎日ただなんとなく、
ぼんやりと惰性で生きながら、
社会の事を知らない無垢で済んだ目で、
いろんなことを知った気になって、
それでも何かには真剣に打ち込み続け、
そこには多くの仲間がいた、
そんな日々たちは、間違いなく青春なのである。

その表象ともいえるのは、中学や高校における合唱祭や体育祭といったイベントである。

私の中で最も印象深いのは、高校3年の時の合唱祭だ。

私たちのクラスは「おんがく」という非常にシンプルな歌でなんか賞を取った記憶があるのだが、最も鮮烈だったのは、金賞を取ったクラスの歌った「青春譜」という歌だ。
作家である五木寛之氏が作詞をした名曲の一つだ。

とはいうものの、当時の私はこの歌の存在を知らなかった。
審査終了後に金賞受賞のアンコールとして歌われた際に、これをはじめて聞くことになったのである。

金賞を取ったクラスの生徒はみなグズグズ泣いていた。
仲の良い友人も泣いていたから結構その時点で私も感情が揺さぶられていたのだが、いざ「青春譜」が始まると、その歌詞はあまりにも美しかった。

♪ この一瞬を永遠に刻もう 青春は壊れやすい季節だから

ホールの壇上、高校の最終学年、ボロボロ泣きながらその歌詞を歌い上げる、その姿こそ青春そのものであった。
これがまさに、「青春譜」だったのだ。

青春のひとときは駆けるように過ぎて、過ぎて行った後にそれがあったことに気づくもの。

大人になってからの日々は溶けるように過ぎて、過ぎて行った後には振り返ることもない。
「壊れやすい季節」は、紛れもなく子どもの頃に知らぬ間に生き抜いていた、目の前の現実だったのだ。

気づけば高校卒業から、10年のときが過ぎた。
それが遠い過去になっても、青春の日々の思い出は少しもひび割れず、私の心のアルバムに綴じられている。

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