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新500円玉が使いづらいことを嘆いていた芸人がいる

新紙幣が3日から発行された。1万円に渋沢栄一、5千円に津田梅子、千円に北里柴三郎という顔ぶれである。個人的には津田梅子よりも樋口一葉のほうが好きだが、まあそれはどうでもいい。
新紙幣をありがたがってもらいに行く人がいるけれども、そのうち手には入るのでは…と私は考えてしまう。流行の最先端を走ったり、それについていくようなアーリーアダプターにはなれないのだろう。

日常生活でお金を使う機会でいうと、自販機なんかが代表的だ。自販機を使うときには硬貨を普通は使うわけだが、2021年から発行開始した新500円玉は、3年ほど経った今でも使えなかったりする。もともとは「偽造防止」という名目で新貨幣の発行がスタートしたわけだが、非常に不便だ。

この問題については国会でもクソ真面目に議論されているのだが、なかなか質疑応答がお粗末である。コストとリターンの比較をしてコストのほうが大きいのではないかと問われ、当時の偉い役人が以下のように答弁している。

「新五百円玉の発行に伴うコスト、リターンの比較みたいなところでございますけれども、リターンといいましょうか、目的のところは、先ほど大臣からも御答弁申し上げましたとおり、偽造通貨の防止、それから、それに伴います経済的損害の発生の未然の防止といったようなものがあるところでございます」

さっそくリターンの話ではなく目的の話にすり替わっており、特にリターンらしいリターンはないということになる。そしてコストについて、

「一方で、先生御指摘のとおり、コストというところもあるわけでございますけれども、今回の改鋳では、事業者の事情にも配慮をいたしまして、公表から実施まで約二年半の対応期間を設けた上で改鋳を行っておりますし、新五百円貨幣の発行後も、直ちに全てが新しい貨幣に入れ替わるわけではない、事業者側の都合に合わせたタイミングで金銭機器の改修を行うことも可能ということでございます。
例えばでございますけれども、先生御指摘ありましたような食券の券売機ですと、法定上の耐用年数は八年でございます。それから、野外にありますような自販機ですと耐用年数五年でございますので、そうしたサイクルで機械が入れ替わっていくということでございます。
したがって、先ほど申し上げた改鋳のサイクル二十年というところで申しますと、どんなに長くても五年ないし八年たてば機械が入れ替わってくる中で使えるようになってくる。そうした中で、時間をかけて、利便性、それからコスト、そして偽造防止、そういったところをバランスを取りながら進めていければと考えている次第でございます」

対応期間を設けておりすべての500円玉を使うことができないわけではないとして、さらに「どんなに長くても五年ないし八年たてば機械が入れ替わってくる中で使えるようになってくる」と言及。
要は、使えない間は不便は不便だが、長くても八年たてば使えるようになるのでそれまで我慢しろということである。
リターンについては説明がないが、時間的なコストは最長で八年くらいあるということで、客観的に見ればコスパの悪い事業ということになる。まあ、500円玉が使えないという意味では偽造のしようがないわけで、その意味では優れた偽造防止の仕組みなのかもしれない。

さて、この問題を心から嘆いている芸人がいる。ウエストランドの井口さんである。
ウエストランドは以前も触れたように「ぶちラジ」というインターネットラジオ番組をユーチューブで勝手に配信しているのだが、公開収録をした際に新500円玉について井口さんは絶叫していた。

「規格の違う500円玉を作って、どうなったかというと、それに対応していない自販機とかばっかりになって、なぜ対応していない自販機だらけかというと、いまはキャッシュレスの時代で誰も効果なんか持ち歩かないんです…偽造関係ねえじゃねえか!!」と喝破し、そもそも500円玉を偽造したやつなどみたことがない、これは利権である、などとばっさばっさと鋭く切り捨てている。

国はコストとリターンを比較して合理的な判断をすることができないものだ。無駄な事業を作って勝手に疲弊してしまう。役人の間で閉じた話であれば我々として関知する話ではないが、我々にもコストを強いるような話であれば断固として反対することが必要だ。
文句を言うことをためらうきらいもあろうが、井口さんよろしく声高に文句を言うことは結果的に国民の利益になることなのだと思う。日本らしい奥ゆかしさが私は大好きだが、それでも時には文句を垂れても損はあるまい。

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