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【経済】増税社会を子供に残すのか〜「子育て罰」を憂いて〜

悲しいことに、育児をめぐっては「子育て罰」「子どもは高級品である」なんて言葉が世にはびこっている。
子育てをすることが個人にとって、経済的にも肉体的にも精神的にも大きな負担であることを揶揄した言葉だ。

子どもにはお金がかかる。子どもを生むだけでも、病院での診療費やら、出産直前の時の入院費などがかかるし、生まれたあともいろんなものが必要になるので、恒常的に金は出て行くことになる。

こうした負担を抑えるために、国はあれこれと補助の仕組みを作っている。
代表的なのが出産時に出る「出産一時金」で、岸田政権で50万円に上がった。
一般にこうした国による国民生活への支援は「社会保障」なんて呼ばれる。
そして、社会保障があるから私たち国民は安心で、社会保障を削るというと「大丈夫かなあ」と心配になるものだ。


しかし、単純な金勘定をしてみると少し見方が変わってくる。
ためしに、この出産一時金50万円を得るために、私たちはどのくらいのお金を払ってきたのかを考えてみる。大体初任給は20万円くらいで、税や社会保障費として4万円ほど持っていかれる。差し引き手取りは16万円くらいだ。
これを毎月繰り返すと、1年(12カ月)が経つと4×12=48万円だ。

初任給レベルであっても1年間働いたら出産一時金くらいの税金を私たちは支払っている計算になる。要は、出産一時金の50万円というのは私たちが初任給で働き続けたとしても、1年くらいで支払うお金を「戻している」だけにすぎないわけだ。
もちろん社会人一年目で出産をするなんてことはそうそうないので、私たちはより多くのお金を稼ぎ、そしてより多くの税金を支払う年齢となり、恋をして、結婚し、体を幾度も重ねて子を宿し、そして十月十日を経てようやっと子どもを産んで、初めて出産一時金50万円にありつけている。
こう考えてみると「税金をそれなりに払っている割に戻ってくるのはかなり遅いし、しかも大して戻ってきていない」という実感を持つ人は少なくないのではないか。少なくとも私はそうだった。

補助金をもらえるというとありがたがる人は多いが、元をたどれば私たちが税金を支払った金が戻ってきているだけなのだ。少子化対策として国が出てくれば決まってこういうことになる。どこかで無駄なお金が発生して、結局支払った以上のお金が返ってくることはそうそうない。

そして何より、子どもを産む前から育児に関わる補助金をみて「ふむふむ、これだけ支援が充実しているなら子どもを作ろう」とはそうそうなるまい。
何なら子どもを産んだあとに役所の人から「こんな支援がありますよ」などと案内を受けるのがほとんどで、子どもを産むまで補助金の存在になど気づかない。
補助金があるから子どもを産むわけではないのだ。

こうしたことが嫌ならば減税を訴えるべきである。子育てにお金が必要だとわかっているのなら、補助金など出さずにそもそも税金を取らなければいいだけの話だ。

私たちが支払っているお金以上のリターンが国からもたらされないのであれば、「増税して補助金を撒くのではなく減税をしてくれ」と主張するのが合理的だ。経済的に損をすることを厭わなかったり、「政府が守ってくれるから安心だ」と自らの自由を差し出たりするのであれば、私たちの持っているお金は無限に国に奪われていくのである。

そして何より、安易な増税の容認は、自分が産み育てる子どもが生きる未来に、不自由かつ若者が損をする社会を残すということでもある。ひとりひとりの親に、増税を是とするかどうかが問われている。

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