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「バイビー」は生きていた

この世の中には、かつて使われていたにも関わらず時とともに使われなくなった「死語」がたくさんある。

いま「死語」となっているものは、バブルの時代なんかに多く生まれたものが多い。「チョベリグ(超ベリーグッド)・チョベリバ(超ベリーバッド)」とか、「許してちょんまげ(フランクな『許してください』『見逃してください』)」とか、「ナウなヤングにバカウケ!(若者の間で流行っている)」とか、一事が万事こんな調子で不思議な日本語が使われていた。

いま10~20代の子たちであれば「は?」という一文字でこうした死語を話すおじさんたちを駆逐することができる。それだけに、おじさんたちがわざと死語を使って笑いを取るなんてことはそうそうなく、死語は「懐かしいね」などと言われることもなく思い出されることもない本当の意味での「死語」と化していく。

その死語のなかに、「バイビー」という言葉がある。
フランクな別れのあいさつとしてかつて使われており、私も小学生のころなんかに「バイビー」と友達に別れを告げていたものだ。
中学生くらいになるとすっかり使わなくなって、それきり世の中で「バイビー」なんて言葉を聞くことすらなくなっていた。
私の中では、もはやバイビーは死語となっていたのである。

ところがほんの数日前、池袋駅をふらふらとしていたときに高校生と思しき女子が「おん、おん、おっけー。じゃ、また、バイビー」と言っていたのだ。

思わず「ばば、ば、バイビー?!」と私は心の中で叫んでしまった。
バイビーの声の主である女子高生を振り返って見るわけでも立ち止まるわけでもなく、何もなかったかのような平静を装う、言うなれば既婚者の余裕(?)をかましつつ歩いて改札に入ったのであるが、しばらくその女子高生の力ない「バイビー」が耳に残っていた。

私はあのとき、死んだはずの言葉が死んでいなかったことを知ったのだ。
たとえるならば、十字架に磔となり死んだはずのイエス・キリストが「復活」した瞬間を見た、当時のエルサレムの人々と同じ体験をしたということである。

ということは、あの女子高生は私にとってのキリストであったということだ。私のなかで本当の意味での「死語」と化していた「バイビー」がまだ生きているのだという神からの啓示を受けたのである。あの瞬間、神は確かに池袋に顕現していたのであろう。

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