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卒アルを見て「こいつ誰?」と感じた時に

だいぶ前の話だが「大学の卒業アルバムが届いた」と親から言われたことがあった。
そもそも、大学に卒業アルバムがあったことすら知らなかった私である。
当然アルバムに私の写真はない。なぜ母は買ったのかとよくわからなかったのだが、せっかく届いたのだし…と、とりあえずアルバムを広げた。

学部ごと、ゼミごとの写真が広がる。自分のいた外国語学部を見ても「こんなやついねえよ」と思いながらページをめくる。
大学という場所には人が多すぎる。知らん奴ばかりである。

そんなときふと、今までの学校はどうだったっけ―そんな疑問が頭をよぎる。
小学校の頃、一人として顔と名前が一致しない人間など同じ学年にいなかった。中学校も大概そうだ。
高校になって、少し怪しくなってくる。大半の人間は知っているものの「ん?」という人間が少しずつ出てくる。
「いたけど喋ったことはないかも」という人が、少しずつ増えるのだ。なお、可愛い子は大概知っている。しかも何らかの形でしゃべっているのである。これはいたく不思議な現象である。

大学になれば「喋ったことないなあ」どころの騒ぎではない。
「会ったことがない」「いた事すら知らない」「誰こいつ」のレベルで、知らない人が増える。一応同期として卒業したことになっているのだが、まして可愛いと思った人にも会う事も喋ることもないし、その存在に気づくのが卒業してからになってしまう。情けない話である。

同じタイミングで同じコミュニティに属していながら、全く交わることなく別れて行く人がいる。一度くらい会ってもいいものを、しかし一度として会わないことが、私には不思議でならないのだ。


塔和子さんの詩で、「胸の泉に」というものがある。

かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

「ああ何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人」—この言葉は、卒業アルバムを眺めながら聞くとあまりにも重い。
「かかわる」ことすらない人間が、路傍の人のままである人間が、私の泉に枯れ葉いちまいも落としてくれない人間が、自分が所属しているコミュニティに腐るほど存在するようになった、という厳然たる事実があるからだ。

小さかったころは自分の友達が知らない人より多いと思っていたはずなのに、いつの間にか自分の友達の方が「路傍の人」より少なくなっていたのだと、そんなことに気づかされる。

当然、地球という規模で見れば自分とかかわりのある人間は、「路傍の人」に比べれば数少ない。その構造を、少しずつ知るようになっていく―そんなタイミングが、私にとっては大学の卒業アルバムを見る瞬間だったのかもしれない。

水泳を習っていた時分、一番偉いコーチが「君たちの隣にいるヤツが、どうして君のともだちなのかって、不思議に思ったことはないかい?」と、そう私たちに問うたことがあった。

何の必然性もない。別にかかわらなくてもよかったはずの人間だった、路傍の人だったのかもしれない。
なのに、何故か関わっている。
隣に座っている。
コーチの言葉にお互い顔を見合わせて、笑っているのだ。

今になっても私と会い、そして話すことの出来るひとがいること。これほど美しいことは、実はなかなかないんじゃないか。そして、幼いころに出会ったとびきり可愛い子が、自分にとって「路傍の人」にならなかったことも――。

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