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【育児】なぜひとは子供をつくるのか

いよいよ子供が生まれようとしたその時に、私に一つの疑問が浮かんだことがあった。
それは「なんでひとは子供をつくるのか」という問いである。

昔であれば農作業に人力が必要で子供を生めば労働力になるから、とか色々あろう。
また「この子供を絶対に跡取りにする」などという親の思惑のもとで子供を産む、ということもある。
まるっと言ってしまえば、子供を産まなければならない必要性みたいなものがあったのだ。

他にも、めっちゃ昔なんかはおそらく「やりたいことやったもん勝ち」(勇気100%)の精神で好きに事に及んで、結果的に子供ができてしまったなんてこともしばしばあったのだろう。
いずれにしても乳幼児の死亡率が高かった昔では、子供をたくさんこさえることは普通のことだった。

しかし私のような一般人であれば、別に農業をしていて労働力が必要なわけでもないし、跡取りを作る必要もないし、欲望の赴くままに事に及ぶ気力もない。
先述のものとは真逆で、子供を産む必要性や生まれてしまう事態に追い込まれることは、特にないのだ。

不思議になったので思わず奥さんに「なんでひとは、何の必要性もないのに子供を産むんだろうな…」と疑問をぶつけたところ、「多分私自身の家族が恵まれていたんだろうと思う」という答えが返ってきた。

要は、自分が育った家族のような生活を歩めばそれは楽しいだろうし、赤ちゃんを育てるのもなんか面白そうだし、それはハッピーなことだという話だった。

私も別に赤ちゃんが一切要らないと思っていたわけではない。
ただ、正直なところ生まれたら生まれたでまあいいやと思うし、もし万が一生まれなかったらそれを受け入れるしかないし、根拠はないのだが子供に恵まれても恵まれなくても幸せになれる自信らしきものはあった。
子供を持つ持たないというところに、確たる意志みたいなものが私にはなかったのだ。

しかし、不思議な縁で奥さんに出会い、そして子供が生まれたというそれだけで、正直意味が分からないほど奇跡的なことが起きている。しかも、必要性を感じているわけでもなく義務でもないのに、だ。

事実として目の前に赤ちゃんはいて、下手糞ながらも面倒は見ている。その面倒を見るという行為に苦労はあれ、どこか面白がっている私もいる。

ひとつ子供を持つ意味として思ったのは、人間が記憶のない幼年期にどう大きくなるのかを知ることが人生の厚み・深みにつながる面があるということだ。

誰しも、親にこんな風に一日一日世話を焼いてもらって大きくなったんだと思うと、世界や人への眼差しは子供がいなかったときに比べ、だいぶ優しくなる。

世話をしていればとかく赤ちゃんに何をしてあげるのかばかりに意識が向いてしまう。
ただ、実は私たち親の方が赤ちゃんから、人間の尊さの何たるかを日々、教わっているのかもしれない。

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