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察するチカラ

「忖度」

国語の授業では話をほとんど聞かず自由に教科書を読み進めていた私だったが、高校時代、国語の先生が黒板に美しく書いたその2文字を今でも覚えている。

「そんたく」と読む。人の心を推し量る、という意味らしい。「察する」とか「慮る」みたいな意味合いに近い。

言葉にせずしてそれとなく察する、いわば阿吽の呼吸ともいうべき現象がそこにあることは、非常に尊いことだと思う。

「言葉にしない」ということを美徳としてきたのは、日本的な感性だと思う。ちょうど、「何もない」ということに日本人が美を知覚するのと似ている。

フランス人なんかだと「なぜそこに対象がないのに美しさがわかるのだろう」という発想らしい。まず「何もない」ということを美の対象とすること自体がありえないのだと、大学の授業で聞いた記憶がある。

こうした、言葉にしない美学というものが如実に表れているものが、着物の世界だ。

私など着物のいろはの「い」を書くためにいまようやっと炭を取り出したくらいのレベルでまだまだよく知らないのだが、聞けば聞くほど本当にすさまじい。

着物の柄、掛け軸のことば、花の生け方、茶会に御呼ばれした時の作法…それらひとつひとつを、誰もいちいち説明しない。

わかるひとが「ああ」とわかる。それだけだ。

そういえば、ルース・ベネディクトも「菊と刀」のなかで日本人は「恥の文化」ということを指摘しているが、日本人は恥をかくとかかかないとかそういう意識が行動を規制しているということなのだろう。知らないなら知らないで誰も何も言わないが、それも含めあらかじめいろんなことを察しておかないと、無知が露呈していることにすら気づけないという恐ろしいほどの恥をかくことになる。

日本の美意識である「語られないこと」が如実に表れているもう一つの例が、樋口季一郎という方の話である。

大東亜戦争のころ陸軍中将だった方で、ユダヤ人の救済をしたことで知られる。「オトポール事件」と調べてもらえばよくわかるはずだ。簡単に言うと、迫害から逃げてきたユダヤ人がソ連のオトポールという駅で満州に入国できずに困っていたところを助けたという話だ。樋口中将の要請を受けて、当時南満州鉄道の総裁であった松岡洋右氏が特別列車を走らせ、ユダヤ人をハルビンまで送らせたという話である。

ちなみに、この「ハルビン」というところにある語学学校で学んでいたのがかの有名な杉原千畝である。この樋口中将の行動もあって、のちにユダヤ人救済に尽くすことになるひとである。

で、この樋口中将のお孫さんがこんな言葉を残しているのである。

「自分がこれまで何をしてきたか、あまり人に語ることはありませんでした。その生き方は本当に立派でした。やはり出るところに出ればバシッと主張するけども、それ以外では自分の功績を言いふらすようなことはしない、それが昔の日本人なんです」(「致知」より)

このように多くの偉人が自らの功績を語らずに死んでいくということはよくある。良いことをしても、「あっしは、さすらいの旅人よ…」と訳のわからないことを言いながらどこかに行ってしまう人と同じだ。

すこし暗い話になるが、敗者の歴史も語られない。そもそも、語る人がいないし、残されないから、それを想像しなくてはならない。言葉にされないがゆえに、受け取る側の人間がそれを感じなくてはならない。否応なしに忖度しないといけない。

いま、世の中を見れば、「何事も言葉にしないとわからない」というひとが増えているように思う。説明しろとかはっきりしろとか、いろいろ面倒な時代になった。

言葉にしないとわからない時代になるなかで、そうした功績に気づくことができなくなっていくのは、実に残念なことだ。その残念な一人として、現代人であるわたしがいることにも、また意識を向けないといけない。

語られない歴史、語られない文化、語られない人に思いを馳せる力がなくなり、自分がその歴史を、文化を、人を、知らないことすら知らないまま死んでいく。それに「恥」を感じるかどうか、そんな感性が今の時代に問われているのかもしれない。

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