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小田和正も玉置浩二も杉山清貴もすごいのだが、「カリスマ」は尾崎豊だと思う

「カリスマ」という言葉がある。
これは普通の人にはない才能を有したようなすごいひとを指す言葉だ。

音楽の世界を見渡した時、一個人としては小田和正とか財津和夫とか杉山清貴とか尾崎紀世彦とか玉置浩二とかいろいろすごいひとはいると思っているのだが、いずれも「カリスマ」かといわれると素直に首肯できない自分がいる。

では音楽における「カリスマ」は誰かと問われたら、私は尾崎豊の名をあげたい。

言わずと知れた名曲「I LOVE YOU」や「卒業」で知られる有名なシンガーソングライターである。
薬物で捕まったりしたこともあったが、しかし彼の才能は何ら衰えることもなく燦然と現代にいたるまで輝き続けている。

ライブの映像なんかを見るとわかるのだが、すさまじく暴力的な、叩きつけるような歌い方をしているのだが、しかしどこか儚くてもろくて、そしてどこか優しいのだ。触ったら破れてしまうような薄いガラスのような姿なのである。
なんにせよ、不思議な魅力をまとった、単に歌がうまいとか詞がきれいとかそういうものでは説明できない「何か」をもった歌手だと個人的には思う。

その死にざまも世間を大きく騒がせた。ニュース映像には多くの若者が霊柩車に駆け寄って女性なんかがすすり泣いている様子が残っているが、あの様子は言い方はわるいがある種の「教祖」じみたものさえある。それほどまでに己を破滅に導かねば書くことができなかった詞があり、そして曲があったのではないか…とずぶの素人ながら推測してしまうくらい鮮烈な人生を歩んでいるように思う。

きっと、尾崎自身が夭折していることもあって私自身のなかで神格化されているところもあるのだろうが、それにしても若き才能があふれ出ていたあの姿はカリスマ以外の何物でもあるまい、というのが私の実感だ。


はて、現代に話を戻したときに、なんの理由もないのだがただただすごい「カリスマ」のような歌手はいないのではないかと思う。
先ほど尾崎は「教祖」という表現をしたが、宗教的な、神格化された存在としての歌手というのは今の時代ではあまりいない。
もちろん、歌手はみな歌はうまいし声もでかいし私などが到底及ぶことはないのだが、歌手の多くの人たちが私たちと連続性のあるところにいるような感じがする。

理由はわからない。わかりやすいものが好まれて説明できないものをただそのまま置いてあることに耐えられないのか、とびぬけたものを忌避して平等が行き過ぎているのか、特別なものへの批判があるのか、色々あるのだろうと思う。

しかし、この音楽におけるカリスマの不在は個人的には物足りない。
宗教に冷めたわたしもまた、普通の人を超越した常識が通じない世界にいる尾崎という教祖の幻影を、音楽のなかに探し求めているのかもしれない。

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