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適当に人生を区切ること

小学生や中学生のころには、漫然と生きているだけでそのうち「卒業」というものがみなに平等に訪れ、否応なしに学校を追い出される。
それゆえ自然と様々なコミュニティに触れることになることもあって、卒業を機に友人とのつながりが増えたり、振り返ることで自分なりに卒業から卒業までの期間を振り返って意義付けをしたりする。

言ってしまえば、何も考えなくても人生に「区切り」が設けられているのである。そして区切りとは、コミュニティを増やしたり、振り返って考えなおしたりするタイミングとして非常に有意義である。

大人になって思うのは、大人の人生には「いつか死ぬ」ということ以外、これといった区切りがないということだ。
自分でちょっとしたタイミングを「区切り」にして、適当に作っていかないと、ただ淡々と時間だけが過ぎていくことになる。
それは例えば年越しかもしれないし、誕生日かもしれないし、記念日かもしれないし、毎月という単位かもしれないし、転職というタイミングかもしれないし、結婚や出産というタイミングかもしれない。
それでも誰かが決めてくれる「区切り」はそこにはなくて、自分の意志を持って人生を区切る必要がある。

転職や結婚というのは非常にわかりやすい。いうまでもなく自分の意志を以て人生を区切る瞬間であるからだ。むしろ問題は流れるようにすぎゆく日々をどう区切るのか、というほうである。

とかく社会人に慣れてくると日々をうまいことこなそうという発想が出てくる。なるべく楽に、するっと一日が終わることを良しとするようになる。
まあ確かにスムーズに時間が過ぎるのは良いことなのだが、そういう日々の連続の中にあっては区切ろうという意志もないし、区切るタイミングもない。そして何より区切ったところで「なんか一日一日仕事をしていたな」という実感だけが残って、これといって振り返るものもない。

こう考えてみると、学生のときに私たちは、「卒業」というものに向けて突き進んでいくなかで、部活や受験で目指すものがあったのであり、そしてそういう日々が区切られるからこそ有意義だったのだということに気づかされる。
大人には区切りもなく、そして区切りがないがゆえに区切りに向けて走るエネルギーもなく、目標もなく、ただ時間が過ぎていってしまう。

さすれば、大人にこそ必要なのは目標などの「やりたいこと」ではあるまいか。「年内にはこんなことをしよう」「月内にはこんなことをしよう」「〇歳にはこんなことをしよう」とどんな小さいことでもいい。およそ叶うこともない大きすぎる夢でもいいのだろう。
そういうものがあるからこそ人生を区切った時に(結果はともかく)振り返りうるネタになる。人生を意味ある形で区切るためには人生そのものに少しばかり欲深くなることが肝要なのかもしれない。

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