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【出産】男の十月十日④~こんにちは赤ちゃん~

ある日、午前4時ごろに突然目が覚めた。
横で寝ていた奥さんの様子が気になり「どうしたの」と聞くと、陣痛が来たらしいとのことだった。
陣痛は強烈に痛ければ該当するというものではなく、10分に1回くらいの規則的なお腹の痛みが1時間以上継続した時点で陣痛になる。ということは、奥さんは少なくとも午前3時ごろから痛みを感じていたという計算になる。

病院に向かうためにタクシーを呼ぶのだが、いまでは陣痛タクシーなるものがあり、ものの数分で駆けつけてくれた。タクシーで陣痛が強まるなか、奥さんは「世の中の妊婦でこの痛みにキレるのもわかるわ」と話していた。
病院に着くと奥さんは検査室、私は待機室に通された。数十分すると看護師さんから「入院です」との一報。病院のルールで分娩室に入ってからしか同席できないため私は一度帰宅し、奥さんからの連絡を待つことになった。

私も出産に立ち会って初めて知ったのだが、陣痛が来てから赤ちゃんが生まれるまでというのはざっくりいうと2つのフェーズがある。
1つは「赤ちゃんの通り道を広げる」フェーズ、もう1つは「いきんで赤ちゃんを出す」フェーズだ。このうち、前者の「赤ちゃんの通り道を広げる」段階が非常に長く、お母さんへの負担がとりわけ大きい。

昼過ぎ、奥さんが分娩室に移ったとのことで連絡があった。13時半ごろに病院に着き部屋に入ると、奥さんがつらそうな顔をしている。
助産師さんの見様見真似で奥さんのおしりのあたりを全力で押す(陣痛の時押すと幾分楽になるという)。奥さんに痛みが来て、私がおしりを押して、奥さんが痛みをこらえ、痛みが引いて、おしりを押すのをやめる。この繰り返しで、21時くらいまで続けていたと思う。誘発剤を使ったので非常に痛みが強いようだ。

夜は誘発剤の使用をやめて、少し陣痛の痛みが和らいできたので仮眠をとった。深夜2時くらいから奥さんの陣痛が強くなったため起き、おしりを押す作業を再開した。
その日も誘発剤を使って赤ちゃんの通り道を広げることになるのだが、なかなか4~5cm開いたところで変化がない(目安は10cm)。
誘発剤は強くなり、筋肉注射を入れたり破水をさせたりして、奥さんの陣痛も次第に強くなる。
最初はふうふうと頑張っていた奥さんも「いたい」「もういやだ」「つらいよ」と泣きながら痛みに耐えるようになっていった。

頭では痛みがあるからお産が進むメカニズムはわかっているのだが、奥さんが苦しんでいるのを見ると何ともいえない気持ちになる。「少しでも楽にしてやれたら」と思いつつ、陣痛を止めながら赤ちゃんを生まれさせる力は私にない。つらそうな奥さんに声をかけながらおしりを押すだけだ。
奥さんが痛みに苦しみ続ける時間は、どのくらい続いただろう。強烈な陣痛が冗談抜きで1000回くらいは来ていたんじゃないか。

赤ちゃんを産むことは神秘的と言われることもある。確かに不思議なことは多いが、思うに男女が体を重ねた結果起こる妊娠という「偶然」と、グロテスクなほどに「痛み」を伴う出産の過程は、容赦ないほどに現実的である。
奥さんの友人が「出産は交通事故だから!!!」(原文ママ)と言っていたが、本当にその通りだと思う。

私は近くでお産をみて、陣痛とは「逃げることができない、終わりの見えない痛み」であると痛感した。
奥さんが息も絶え絶えのなかで気絶するように眠り、そして痛みに起こされながらも助産師さんに悪態をつかず「うるさくてすいません」などと言っている姿は率直にすごいものだと思った。
私だったら終わりがみえないなかで助産師さんに「早く腹切ってくれ」「ちゃんとやれ(何を)」とキレたり、心が折れたりしてしまっただろう。

最初の陣痛から30時間以上が経ったとき、助産師さんや産科医の往来が増える。ようやく赤ちゃんの通り道がちゃんと広がったようで、お産の準備が始まっていたのである。
通常12時間くらいでちゃんと広がるというので、大体3倍くらいの時間がかかった計算だ。奥さんの体力は本当に凄まじい。私がおしりを押すフェーズはここで終わり、傍らでいきむのを手伝う。ひとりの赤ちゃんが生まれるのに7~8人の産科のお医者さんや助産師さんが取り囲む。こうやって人間が生まれるのだと思うと命は尊い。

奥さんはいきむのが非常にうまかったらしく、結構あっという間に赤ちゃんの頭が出てきた。羊水をよく飲んでいたせいか、うがいをしているかのように「アァァアァ、ゴフォ」という感じの産声を上げたのだが、ちゃんと生きている。
ふと奥さんのほうをみると「?」みたいな顔をしていたのでどうしたのか聞くと「なんか何が起きたかよくわかんない、痛みから解放されたことがでかすぎる」とのこと。やけにケロッとしている。

体重を測ったり体をふいたりしてご対面である。ほぼ目は開いていないのだが、時にまぶしそうにうすく眼を開けるだけでかわいい。
抱っこさせてもらうと異常に軽く、下手に動くと落ちてしまいそうで、体がカチッと固まってしまった。「これで父親なのか…」と思いながら、あたたかでふわふわとした感情に包まれた。
なんともいえない、妙な感覚である。

と、こんな調子で奥さんの初産が終わったのだが、私の感想から言うと立ち会い出産で本当によかったと思う。奥さんの陣痛の苦しみや赤ちゃんの尊さ、命が生まれる過程の何たるかを、頭ではなく体に叩き込まれたからだ。なによりお産を全力で頑張ってくれた奥さんへの感謝の念に堪えない。(つづく)

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