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11月20日は「ピザの日」ではなくて――

日本記念日協会なるものがある。

きょう、11月20日は「ピザの日」らしい。
同協会によるとほかにも
メンズ脱毛を応援する日
信州ワインブレッドの日
シチューライスの日
タブレット通信教育の日
多肉植物の日
イイツーキンの日
毛布の日
組織風土の日
発芽大豆の日
いいかんぶつの日
発芽野菜の日 

も11月20日なのだという。「毎日がスペシャル」なんて歌詞があったが本当にそのとおりである。

ただ、記念日協会とて11月20日に起きたすべての出来事を網羅的に把握しているわけではない。
きょう11月20日はほかでもなく、人間魚雷「回天」が11月8日に初めて出撃した「菊水隊」が随伴タンカーを撃沈した日(1944年)でもある。

回天の存在を知ったのは、小説の「出口のない海」においてであった。

一体全体、勝機がどこにあるのかもわからない戦争の中で、日々厳しい訓練を積み続ける若者たち、そして彼らが人間魚雷に乗り込み、汗だくになりながら艦内の酸素が次第に薄くなっていくなか、敵艦に向けて一直線に突っ込んでいく…というストーリーが、当時中学生くらいだった私にとっては衝撃的だった。

読後に、何とも言えない虚無感に襲われたのをよく覚えている。

「こうして命を失っていった若者たちは、報われたのだろうかー」

当時のわたしは、考え続けても答えを出すことはできなかった。

いま、わたしは29歳である。80年前に出兵の一つでもしていたらおそらく死んでいただろう年だ。

現代社会はなんだかんだで平和である。
取るに足らぬことでSNS上で喧嘩をして不毛な論争をしたり、日本の国会では大局観もない議論にぴーちくぱーちくと騒ぎ立てている。こういうどうでもいい話を延々やっているのが現代の日本だ。そして私が上述したような問題について個人のブログでああだこうだといえることも平和である証左だ。

要するに現代の日本社会とは、私たちは自分の目の前の生活に一生懸命にならなくたって何も問題がないくらい平和なのである。
明日まさか命が終わることなんて思いもしない。

でもそれは、命を考えなくてもいいという理由にはならない。
果たして、目の前の毎日は確かに己の手によって有意義に生きられているか。次の瞬間にどこからともなく撃たれたとしても、ラオウよろしく「わが生涯に一片の悔いなし」といえるだけの人生なのか。

これを振り返ることは、時代の流れの中でやむにやまれず敵艦に突っ込んでいった回天の若き乗組員たちへの、ある意味での供養みたいなものだろう。

日常だけではない。彼らにも我々のような若者と同じように、明日や数年後に描き上げていた鮮やかな色合いの、みずみずしい、美しい輪郭の夢があったのである。

ならば、意志があっても時代が許さなかった彼らの夢を確かな現実とするのは20代のわたしたちなのではあるまいか。
これは80年前であれば同じように死んでいた私たちだからこそ、時代を超えて課された責任なのである。

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