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【経済】私たちは自然と「タックスイーター」への道を歩まされている

少し考えてみて欲しいのだが、自分が頑張っているのにその上前を見ず知らずの人にかすめ取られたらどんな気持ちになるだろうか。「気分が良い」という人はまずいないだろう。
この「自分が頑張っているのにその上前を見ず知らずの人にかすめ取られる」という現象は、常に至る所に存在している。

その一つが、税金である。
税金とは、働くなどして得たお金の一部を、合法的に奪い取る仕組みである。我々が頑張って労働して得た賃金の一部は、所得税や住民税やはたまた社会保険料などという名目の税金として奪われる。
まずこの時点で我々労働者の上前をはねているひとがいるということになるのだが、我々としても「本当に」必要な部分に使われていれば税金を奪われることも(ある程度は)致し方ない。具体的に言えばそれは障害を持ち日常生活を送ることが困難な人や、突然職を失った人への支援なんかがあがるだろう。

現代社会においては「タックスイーター」ということばがある。
読んで字のごとく、タックス=税金をバクバク食べるやつらという意味で、具体的には無駄遣いして私利をむさぼる役人や、役人と結託して不当に利益を得る民間人のことを指す。これは先に述べた「本当に必要な部分」の埒外にある。

私自身、子どもが生まれて、補助金の申請などをする機会が増えた。申請が面倒などと文句を言いながら結局申請するわけだが、自治体の補助金が果たして私にとって本当に必要なのかを問うてみると、実はそれほど必要がないものもある。
もちろん、だからといってもらわない選択肢をするほど私は殊勝な人間ではないし、むしろ税金を払っているのにもらわないという選択肢をとることがおよそ経済合理性があるとは思えない。だから私は申請せざるを得ないのである。
まさにこの瞬間、私はいわゆるタックスイーターになっているのである。別段必要でもないにも関わらず、どこかの誰かさんの頑張りの上前をはねて、子どものための補助金をもらっているのだ。きっとこれは年を重ねても同じで、将来高齢者向けの補助金をもらうために、子供の手を借りながら面倒くさい書類を書くのだろうと思う。
私たちは、知らないうちにタックスイーターへの道を歩まされているのである。

そして、こうしたタックスイーターになると恐ろしいのがこの恩恵に預かれなくなると思って、依存をすることである。誰かの上前をはねることを旨として、恩恵にあずかれなくなることを恐れてタックスイーターであることをやめられなくなるのだ。
なまじ受け取る側に「これまで人生で頑張ってきた」と欲が出ると、いま頑張っている人の上前をはねることになり、結果としていま頑張っている人の頑張りは正しく報われなくなる。そうして人が頑張る動機を失うことこそが、国の経済を衰退に陥れる一歩でもある。

それだけに、私たち自身が自らの生活を自らの手で成り立たせ、他者に簡単に依存しないという意志を以てタックスイーターであることに抵抗しなければ、国家によって私たちは簡単にタックスイーターとして培養されてしまうのだと思う。

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