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志ある方が「行政手続き」に苦労しているのは社会にとって損失が大きすぎる

手術の練習に使うための子供の心臓の模型を作る会社の社長さんからお話を伺う機会があった。もともとものづくりを手掛けていた会社だったが、ひょんなことから心臓の模型を作ることになったという。

日本で様々な規制が多いことはよく知られているが、医療の分野ではとりわけ規制が多い。
医療者が手術の練習をするためのものであるため、国に「販売してもよいか」という薬事承認を得なくてはならない。
この薬事承認を得るという手続きが極めて面倒くさく、我々が想像する以上の役所の「たらい回し」に苦しめられたのだと話してくれた(それも、数年単位のたらい回しだったのだという)。

その社長さんが話し終えた後の質疑応答の時間で「欧米のほうがスピード感をもって市場に出せるし、開発もどんどん進められるのではないか」という声が出た。
その社長さんは渋い顔で「それは本当にその通りでして…」と口にしたあと、「ある『しがらみ』があるんです」と話す。

それは、国から表彰を受けた時に「ぜひMade in Japanで世界に打って出てほしい」と言われたのだと明かしてくれた。それまで資金調達に苦労していたが、その後は国などから資金を調達するのが非常に楽になった、とのことだった。

「国からお金を出してもらったこともあるし、海外であれば一層のコストもかかる。今はM&Aなどにも応じる気はないし、日本で頑張ろうと思っている」という。
いやはや、日々自堕落に過ごす私にとっては頭の下がる志の高さと意志の強さである――と思ったのだが、はてこれは美談としてよいのか、という疑問が生じた。

そもそも、日本の規制がこれほどまでにがんじがらめになっていなければ、その社長さんが開発や販売にここまで苦労することはなかったはずである。
さすれば、進めるべきは規制緩和なのではないか。

人間だれしも、苦労話を聞いて何とか頑張っているという話を聞くとそれだけで立派だと称賛してしまいがちだ。もちろんそれはその通りだし今回も例外ではない。
だが、その苦労のたぐいが行政の手続きなどという「小児用心臓模型の開発」とはほとんど無関係なところで繰り広げられていることには疑問を持たねばならない。
それは本来する必要のない苦労であり、もっと言えば「無駄」である。

「Made in Japanでぜひ…」と国が言うのは勝手だが、そういうのであればそれ相応の行政手続きのやりやすさを国は提供すべきである。立派な志が苦労に打ち勝ったことをただ美談とするのではなく、本来必要のなかった苦労がそこになかったか、そしてそうした苦労を未来にさせまいという視点が国には必要である。結果が出れば、無意味な規制や事務手続きがあってもよい理由にはなるまい。

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