見出し画像

鹿児島で会ったおっさん

学生の時分、九州にぷらっと旅行に行った時があった。
貧乏旅行である。青春18きっぷで鈍行列車に揺られて数時間かけて熊本から鹿児島まで移動していた。

到着が夜遅いこともあって、とりあえず飯を食ってホテルで寝ることにした。飯を食うには鹿児島は居酒屋がたくさんあっていいところだ。適当に入ってサッと食えばいい。
そう思って入った小さな個人経営の居酒屋に、マスターとこれまたおっさん一人。マスターは「ほい」と豆腐のお通しを出したので、ビールを頼んだ。
そして、マスターと仲良くしゃべっていたおっさん。このおっさん見るからに営業でブイブイ言わせていた感じの身なりである。電車の中で出会った話下手なおっさんとはワケが違う。

「どこから来たの」
というところから話が始まり、大阪と言うと
「あそこはいいところだよな、なんせ…」
と昔話に花が咲く。そのうち、バブル時代は~なんて話になったから、
「実際どうだったんですか?バブルって、想像できないものですから」
と聞けば、マスターは「皆キチガイだった」と言い、おっさんは「そうですね」と首肯。
「タンス預金でもしてりゃ良かったんだけど、そうもいかないで皆使っちまうんだよな、おかげですっからかんになったよ」とマスター。
今考えてみれば、物価が上がっている中でタンス預金なんてしていても現金の実質的な価値は下落していくのだ。物価上昇率は大体3%くらい、当時普通預金が2%、定期で6%くらいをつけていた時代である。定期預金なりなんなりで運用を図っておればよいという時代だ。

このおっさん、昔は不動産関連の会社で結構稼いでいたらしい。恰幅があって、一見して生活にさほど苦が無い感じの様子だった。
力強く言っていたのは中韓への不満と子供への愚痴であった。韓国の教育はどうのこうのとか、一方で日本の教育、歴史は自虐的で云々とか、中国の領土が~とか、自分の子供が全然ダメだとか、私も首肯するところが多かったがとにかく中韓の文句が絶えない。

そしておっさんは矛先を次第に私に向けてきた。「君はまだ若い」と切り出し、何かしがのものを所有し、管理するという経験をせよというアドバイスを受けた。
考えてみれば当時は「ミニマリズム」的な、とりあえずモノを捨てろ、持つなという思想がかなり広がっていた頃だ。持たないということは非常に楽なのだが、逆に言えば持つこと・管理することからわかる経験を得られないということである。
お金がローンなどで出ていくという「縛られた」状態でひとが何を思うかを実感として知らないということなのである。個人的にはこの経験の不在が生む損失はとても大きいのではなかろうか、と思う。

まあそんなこんなで3時間くらい話し込んで、すっかりナイスな雰囲気でお会計―というその時、おっさんは「まぁまぁ」と一言私を遮り、おごってくれたのである。
初対面の学生に奢ってくれるとはいいおっさんである。がっちり握手をしておっさんと別れ、私は飲み過ぎてふらつく頭を抱え、ホテルで数秒で眠りについた。

翌朝起きたのは8時だった。7時発の指宿行きの電車に乗る予定であったから、これは酒を飲み過ぎたことによるれっきとした寝坊である。

鹿児島中央駅から指宿駅へは1時間くらいでつく。到着早々、覇気のない指宿の街並みが私を出迎える。所謂、シャッター商店街というものなのだろうか、タイルに埋められた「指宿 中央名店街」の文字が虚しい。

おっさんが生きていた「バブルの時」はどうだったのだろうか。世間が活況のなかでこの街並みにも人が集まり、にぎわっていた日々があったのだろう。
好況を失い、所有と管理の意志を失い、活況の街並みを失い、喪失のなかで大人になった私たち20代が見据える未来の日本とはどんな姿なのだろう。
おっさんの言葉と色を失った街を見つめながら、ふと思いが至った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?