見出し画像

【育児】報われぬ日々があるからわかるもの

大学の時分履修していた教職の講義で「教員の仕事とは99%が報われない日々である。でも、生徒の成長を実感した時や人間的成長に携わったというような、時々おとずれる1%の素晴らしい瞬間もある。教員はその1%の素晴らしい瞬間のために99%の報われない日々を過ごせる人間に向いている」と、担当教授からいわれたことがあった。
やや悲観的な教職観ではあるものの、激務に追われる現場の先生方はおそらくそう遠くない実感を持っているのだろうと思う。


ところで、SNSにはたくさんの赤ちゃん関連の投稿がある。
わたしも娘がいるので共感などをしながら「赤ちゃんはどの家でもカワイイもんだ」などと思いながら動画や写真を見ている。
ただ、曲がりなりにも育児に携わる身として思うのは、こうした画像・映像は、いわば「報われない時間のあいだを縫って一瞬訪れた、報われた瞬間」なのではあるまいか、と思ったのだ。

育児は言うまでもなく大変である。一人暮らしのころには無限にあった自分の時間は奪われ、睡眠時間も奪われ、赤ちゃんが思うように泣き止んでくれずに精神的に疲弊してしまうこともしばしばだ。
報われる時間より報われない時間のほうが明らかに多い。

だれだって努力は報われてほしいと思うはずだが、でもそうはいかないのが社会である。だからこそ「形になりやすい努力」に人は力を入れるものだ。
資格取得なんかが流行るのもそのせいだろう。
報われるとわかっている努力のほうがやる気は出る。そして何より、人にそれを誇ったりするのも簡単で、はたから見ればわかりやすい。

でも、報われない日々があるとわかりながらやる努力を続けている人がこの世界にはたくさんいる。家の中で誰にほめられるでもなく育児に時間を費やすお母さんはまさにその好例である。そうしたお母さんのなかには「自分の人生っていったい…」と虚しさが心に去来する人もいるのだろうと思う。
わかりやすい結果や、報われる努力ばかりに目を奪われていると次第に見えなくなるものがある。報われない1%の世界には、読み取らねばならない行間があるのだ。

かつてであればインスタの赤ちゃん動画なんかを見ても「かわいい」でおしまいだったろうが、子どもが生まれて初めて「後ろ側ではいろんな苦労があるのだろうな」と思いが至るようになった。
そしてそうした苦労がにじんでいることが自然とわかるようになったからこそ、赤ちゃんの「かわいさ」はひとしおなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?