見出し画像

好きなことで、生きていく

YouTubeの広告で「好きなことで、生きていく」というものがある。

一見すると実に美しい言葉だ。好きなことをして金をもらって生きていくことができるのだ。

しかし、これは当たり前の話だが「嫌なことをしなくていい」というわけではない。

あくまで、「仕事で好きなことができるときがある」という意味である。

好きなことをして生きているというと羨ましがられることがある。

私も銀行員という面倒くさい仕事を捨てて、文章を書くという仕事を曲がりなりにもしている。これは私にとって幸せなことだ。夢を叶えた!といってもいい。

ただ、その中で私が働く8時間もの間、終始好きなことだけをできているわけではない。時には意味の分からない仕事を振られることもあるし、「面倒くさいなあ」と感じることもあるし、ドイヒーな取材先に出会った時には「どうしようもねえな」と思ったりすることもある。

泥臭い仕事や面倒くさい仕事などをしているときがあってもなお、ほんのひとときの「好きなこと」に対して「楽しい」「うれしい」と思える、それが幸福なのである。

「儚」という文字がある。はかない、なんて読み方をする。

にんべんに夢と書いて、それをはかないと読む。そう、人が夢を見ることは、実に儚いことなのだ。

夢が叶った瞬間はうれしいものだ。わたしだって「よかった」と思った。

でも、結果が出る瞬間は、いつでもほんの少しだけ。それが終われば、また日常が戻ってくる。

その日常のなかで時に「好きなこと」があって、その喜びのために日々の「好きでもないこと」を飲み込み続けているところも、現実にはあるのだと思う。

むしろ、好きでもないことがあるからこそ、好きなことのよろこびがあふれるという面もあるのではないか。

「好きなことで、生きていく」という生き方を選んでみたからこそ、「好きでもないどうでもいいこと」という人生のスパイスの味がわかるようになる。

スパイスだけをなめていてもあまりおいしくないけれども、自分の好きなおかずにさっとふりかけてみてはじめて、人生という世界の新たな地平が立ち現れるものなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?