見出し画像

【育児】絵本は意外と力ずくで話が終わる

娘が生まれて3カ月ほど経ったころ、絵本を読んであげるようになった。
多分早すぎるくらいなのだろうが、まあいろんな刺激を赤ちゃんに与えるのは悪いことではあるまいということで絵本を一方的に読み聞かせるということを時々やっている。

子どものころに絵本を読んでも何を感じるわけでもなかったのだが、大人になって絵本を読んでみると、色々と思うことがある。

まず、動物がでてきがちであるということだ。なぜかわからないのだが、ニコニコの動物がやたら出てくる絵本が多い。

それに伴い、心底平和な世界が展開されていることがしばしばだ。ニコニコの動物がよく出てくるので、弱肉強食の世界観のなかでお互いを喰らい合うわけでもなく、非常に融和的な態度でお互いを尊重している様子がうかがえる。

そして一番大きな特徴が、話の脈絡がほぼないということである。
小さい子向けの絵本であれば「かえるさんがきたよ げろげろ」「いぬさんがきたよ わんわん」などといった、擬音語・擬態語をメインとした作品が多い。いわば、ことばの音で遊ぶことを主眼に置いているわけだが、それだけに話に脈絡が生まれない。次々とキャラクターが出てくるだけ出てきて、それきり収拾がつかないのだ。
本はいつか終わりが来る。それゆえにどこか落としどころを探らねばならないわけだが、ここでもう一つの特徴が出てくる。

それは、急に話が終わるということである。大体眠る前に読む想定であるせいか、あれこれとキャラクターを登場させたうえで突如「またあしたね」などと時の流れにまかせてやりすごすような終わり方がしばしば散見される。伏線の回収も何もあったものではないのだ。

で、実はこれは絵本に限った話ではない。ポケモンの傑作映画の一つ「ミュウツーの逆襲」では、最後のほうでコロシアムみたいなのが出てきてポケモン同士が戦うシーンがあるのだが、このシーンに入る瞬間は「あれ、なんかコロシアム出てきたわ」といういささかの唐突感がある。
また、私が以前取り上げた「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」も同様で、しんのすけがひろしの幼年期の回想に入り込むシーンも割と急に訪れる。

おそらく、子どもの見る作品というのは基本的にその瞬間の映像の力や言葉の力で勝負をしているのであって、文脈で勝負をしているわけではないのだろうと思う。
子どものころの感性とは「いまここ」を生きる感覚を鋭敏に持つことであり過去を振り返ることではない。
大人になるとあれこれと作品に文句を言いだすものだ。私もその一人であると自覚して「いかんいかん」と己を戒めながら、きょうも言葉のわからぬ娘に脈絡のない絵本を読んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?