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優しい行動

ある日久しぶりに晴れたので私は散歩をすることにした。
普段何気ない空も雲一つない青空には惹かれるものがある。
私は視力が低いのでいつも眼鏡をかけている。
遠くのものを見ると目が良くなる
という「風立ちぬ」の話を魔に受けて
散歩の時は裸眼で視界がボヤけた状態で
遠くを見ながら土手を歩いています。
だから晴れた日の雲一つない青空は視力向上を錯覚させる

土手を抜けて、一般道。
突然目の前でおばあちゃんが倒れた。
押していたシルバーカーに手を滑らせたらしい
近くでそれを見ていた2人の女性がすぐに駆け寄り、私も駆け寄った。
座り込んでしまったおばあちゃんに1人の女性が痛いところはないかと聞くとおばあちゃんは分からないと言った。
何とか3人がかりで起きあげて、私は落ちた荷物を拾った。
そのおばあちゃんはおそらく痛みよりもびっくりした衝撃の方が勝ってどこをぶつけたか分からなくなってしまったのだろう。
そんな様子を見てて私は怖くなった。
もしこのおばあちゃんが他の場所、
人目のつかない場所で倒れていたら、
頭を強打して、気を失ってしまっていたら、
この暑さの中の直射日光、
その日の気温は30度を超えている。
荷物を拾う時触ったアスファルトは
燃えるように熱く、火傷しそうだった。

利便性とか快適さを追求した結果
人は本当に幸せになっただろうか、
人身事故や誹謗中傷、
多くの代償の中で快適さを生んだが
その快適さの中にもこういう危険がある。
身近な危険が多くある。
快適さを求めるのであればその快適さの中に
何か問題はないか、危険はないかを考えなければならない。
それがつくるものの責任だと思う。
世の中には中途半端なものがたくさんある。
考えれば対策だって出来る。
でも、金とか欲とかが邪魔をしてそこまで手が回らないのだろう。
利便性の追求、快適さに支配されない為にも
1人ひとりが危機感を持ちひとりで生きる術
誰かに支えて貰って生きる術を身につけなければならない。

おばあちゃんをゆっくり道路の脇、
日陰に座らせて1度落ち着かせて様子を見た後、俺は何も言わず立ち去ろうとした。
それを見たおばあちゃんは
何度も
何度も
ありがとうと言った。
ありがとう、俺はその言葉を知っている。
ありがとうと言われることを知っている。

私はよく優しいねとかありがとうとか言われることがある。
しかし、それを言われてもやって良かったとは思うが、嬉しいとはならない。
言われなければイラッとすることもない。
他の人にもこういう態度をとる人なのだろう、
ありがとうって言えない人なのだろうと思うが、

人が優しいと思われる理由は2種類あると私は思う。
1つ目は困っている人、助けが必要な人がいる時。
結局、優しいと思われる為には困っている人や助けが必要な人、マイナスな側面を持っている人の存在が必要不可欠になる。
だから、忘れてはならないのは

優しい人の側にはいつも困っている人がいるということ



2つ目は優しいと思われると知っている時
例えば、あなたは今日、彼女とデート、朝起きて天気予報でも見ながら準備をしています。
あなたの地域の今日の気温は昼間は少し暖かいですが、夕方過ぎは太陽が隠れる上に急激に肌寒くなりそうです。
それを知ったあなたは寒がりの彼女が体を冷やさないように持ち物にカイロや裏起毛のジャケットなどを忍ばせておきました。
すると夕方過ぎ、あなたは予想通り彼女が寒そうにしていたのを見て貸してあげました。
こういう行動を素直に見れば優しい人だと思うことが出来ます。
しかし、優しい行動をしたからと言って本当に優しい人だとは限りません。
もし、あなたが本当に優しい人ならばスーツの下にユニクロの温かい肌着を着てただでさえいつもより少し厚着をして防寒対策は万全のはずなのに奥さんに今日は寒くなるからと噓をついて上着をもう一枚バックに忍ばせたりしません。
もし、あなたが本当に優しい人ならば駅前で雪が降る中、凍えそうになって薄着で地べたに座るホームレスを横目に彼女に上着を貸してあげるでしょうか。
そんなこと言ってたらキリがない、したらしたで偽善者のようだ。
そうとも思う、人助けには限界がある、何にしたってそうだ。
貧しい子どもたちに教育の機会を与える、環境問題に苦しむ人を救おう、動物が殺処分されている現状を無くそうなんてそんなことひとりでは出来ない、だからみんなで協力しようって話が出てSDGsだとか言われているのだろう。

SDGsと言えば最近台風があった。
台風の中、傘なんか刺してひどく濡れた人はどれくらいいただろうか。
いや、今日傘さしてるやつなんかいないだろって思って外に出て大学に向かうと傘さしてる人がほとんどだった。
何でだろうか、風すごいとか、最悪とか言ってるのに言葉と行動が伴っていない。
本当に濡れるのが嫌ならカッパを着れば良い。
カッパを着ていたから私はほとんど濡れなかった。
傘さして壊してゴミ箱に突っ込んで、
これだけ天気予報でも言っていたのにも関わらず
ヘラヘラしている。
カッパがダサい、長靴がダサい
そういう感覚があるのだろう。
でも、そうじゃない。
ダサいと思うならカッコいいカッパを探せば良い
それだけの話

話を戻して、私が優しいと言われることがある理由は2つ目に述べたこととほぼ変わらない。
私は倒れているおばあちゃんを助けたらありがとうと言われることを知っている。
人が倒れる時、助けなきゃっていう気持ちはもちろんある。
でもそれよりこれをしたら優しいって思われる、ありがとうって言われるという思考も同時に私を襲う。
むしろその方が強い。
倒れたことを認知して、
心配して、
助けなきゃって思って、
ありがとうって言われると分かって、
近寄る。
私は優しい人を演じている。
しなければ罪悪感でずっとその時のことを考えてしまうから、
後々自分の行動を後悔しない為に人助けをする。
頼られたら嬉しいし、
それが何であっても大抵のことならやる。
後々、苦労すると分かっていてもやってしまう。
だから、人の為じゃない自分の為。

自分の為に優しい行動をする。


ありがとうって言ってくれてありがとう。

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