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私の嫌いな思い
私は嫌いなことが人より多い。多分。絶対。
その中でも特に、明確に、嫌っていることがある
それは___
人の死を運命なんて一言で片付けるな
なんという冒涜。あまりの残酷さに言葉を失う。
「運命だったんだ」と言っていいのは、その人の弱さも強さも醜さも面倒さもどんな時も一緒に受け入れ乗り越えたものだけだ。それも権利にしか過ぎないが、まあ要するに「愛」だよ。
死は結果論でしかない。表層しか知らない人が運命なんて不確かなものを口に出してはいけないんだよ。運命なんて本人にもわからないのだから。
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芸能人が亡くなり、その話題は多大な影響力を与える。
良くも悪くも影響が出てしまう。
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芸能人だから叩かれるのは覚悟の上なのか
そんな覚悟誰ができるんだろう。慣れることも危ないと私は考えるが、自分が生きやすいのであればそれは良しとして。
覚悟というのは叩いてもいいという無言の肯定にはならないか?
叩かれる、もの言われるはある程度把握していたとしてもそれを覚悟して受け入れなくてもいい。罵詈雑言浴びない権利ぐらいあるはずだ。画面の向こう側の人がもし目の前にいたとして、実際に横で話をしたらあなたも、もちろん相手も基本つまらないことは言わないはずだ。
それなのにどうしてそんなことが言えるのか。
人間とは愚かで悲しい生き物でしかないのか。
今から始まる、遺族に対しての執拗な追いかけをするマスコミや訳のわからないパフォーマンスをしだす一般人のSNS、擁護をしたりそれでも批判をしたり人の大波がくる。
私はなるべくSNSから目を逸らし、私の心を守ろうと思う。
きっと身勝手な物言いを始める輩に噛みつき攻撃的な心になってしまうと思うから。
この間、どうする家康にて松潤(家康役)がこの様に言っていた
人は皆、死んだら仏
そう。仏でしかない。
静かに安らかに
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