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「昨夜のカレー、明日のパン」について


中学生の頃、偶然つけたチャンネルで「すいか」というドラマが放送していました。そのまま毎週観るようになり、ずっと忘れられなくて、大人になってからDVD-BOXを購入し、繰り返し観るほど大切な作品となりました。

後に「すいか」の脚本は、木皿泉さんと仰るご夫婦の脚本家さんが書かれたもので、小説も何作か執筆されていることが分かり、その時「昨夜のカレー、明日のパン」の存在を知りました。

いつか読もうと思って数年が経ち、その「いつか」がようやく来ました。


どんな話かと一言で説明するなら「7年前、若くして他界した男性(一樹)。その妻(テツコ)が義父(通称ギフ)と二人きりで暮らしながら、周囲の人々と関わり合って、ゆっくりゆっくり彼の死に向き合い、受け入れていく。その様子をオムニバスの短編で綴った物語」です。




【あっけらかんとした暮らしの中にある死】


「愛する人を失った悲しみをどう乗り越えるか」というのは、普遍的なテーマのように思えますが、この作品に関しては「乗り越えること」が着地点ではないように感じました。


亡き夫・一樹の母親も早くに亡くなっているので、家の中はテツコとギフの二人きり。「夫と義母が不在の、嫁と義父」という微妙な間柄なんですが、この二人、とても仲が良いのです。

冒頭から、テツコとギフは焼売とビールで一杯やりながら、お隣さんのあだ名の話題で盛り上がり、テツコはギフが最後の一個の焼売をウスターソースにひたしながら食べるのが好きなのを知っていて、黙ってソースを用意してあげるのです。

もうすっかりお互いの好みや癖を把握していて、二人きりの生活に馴染んでいます。

私は義父という存在を持ったことがないので想像するしかないのですが、普通もっと気を遣ったり遣われたりする関係なのでは?と面喰らいました。だって二人は、気安く相手をおちょくったり文句を言ったり、まるで本当の親子のようです。

そんな遠慮のないやりとりに和まされるので、「愛する人の死をどう乗り越えるか」なんて深刻なテーマを掲げているとは到底思えないのです。


しかし読み進めていくと、「死」は確かに存在していました。


本文の言葉を引用するならば

"ふいに、冷たく、動かなくなった母を思い出す。あの時の、恐ろしいほどの悲しさが、ふいにおそいかかってくる。みんなと次の店を決めている時、街で誰かを待っている時、雑貨屋で女の子とふざけている時。そうなると、体は硬直し、全身が悲しみにおおわれる。何も考えられなくなる。そして、やがて自分も、あのほこりだらけの陰気な家のように、全てが止まってしまう気がするのだった。"


これは、生前の一樹が母親の死について想うシーンなのですが、作中において「死」というものの立ち位置が、まさにこんな感じなのです。

どんなに悲しくても、命がある限りは生きていかなきゃいけない。食べて、暮らして、生きていかなくてはいけない。だから、誰かと笑ったりふざけたりして、なんともない顔をして過ごす。でも、ふとした瞬間に思い出して、心が捕らわれてしまう。


恐らくテツコとギフも、それを繰り返してきたんだろうと思いました。


7年間、一樹を失った悲しみをテツコとギフは共有してきました。特にギフは、息子を亡くす前に妻に先立たれています。だからこそ「置いていかれる側」の気持ちが理解できて、互いに寄りかかるようにして暮らしてきたのかなぁと感じました。


この物語はそんな穏やかな暮らしの中に潜む「死」について、ふと立ち止まって、重くならずに絶妙な軽やかさで、ゆるやかに想いを馳せる話です。




【一樹の死を、それぞれの形で受け止める人々】


ギフとテツコ以外にも、のっぴきならない事情を抱えた様々な人物が登場します。

笑えなくなったキャビンアテンダント、顔面神経痛でヘラヘラ笑ってしまう産婦人科医、バイク事故で正座ができなくなってしまった住職。…という哀しき廃業三銃士を始め、何かに躓いて、起き上がる方法を模索している人々。


「笑えなくなったキャビンアテンダント」をギフとテツコは「ムムム」と呼んでいるのですが、ムムムは一樹の幼馴染みで、彼女もまた、一樹の死を受け止めきれない一人です。

実はこのムムムが、作中でいちばん重要な働きをした人物なんじゃないかと私は思いました。彼女がふと思い付いたある事によって、ギフとテツコの穏やかな暮らしに小さな変化が訪れ、周囲の人々に影響を及ぼしていきます。

私、ムムムの不器用さがなんだか他人事とは思えなくてとても好きで、極め付けは彼女のCA時代の後輩がムムムに「幸せになって下さい」というシーンがあるんですけど、そこでムムムがどんなCAだったのか窺い知る事ができて、読みながらなんだか泣けてきてしまいました。



また、一樹とは直接関わりがなくても、その死が障害になっている人も出てきます。

テツコには恋人がいて、その岩井さんという男性が、なかなかに面白い人物です。岩井さんは、テツコが一樹を忘れられないのを知っていて、それでもなんとか結婚しようとプロポーズを試みます。

しかし、彼は良く言えばまっすぐ。悪く言えば無神経。考えなしに発言をしてしまい、テツコの逆鱗に触れることがしばしば。


でも、彼は実はすごい人で「ミスターイワイはグレート」とか「魔法使い」とか言われて褒められる場面が何度かあります。

特に私は、彼を「魔法使い」と呼んだ少女が出てくる「魔法のカード」という話が好きです。そこで少女が八木重吉という詩人の「うつくしいもの」という詩を暗唱します。

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、  
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


少女は「八木さんに言ってあげたかったなぁ。あるかもよって」と言います。私もこのシーンと詩を読んで、強く思いました。ほんとうに美しいもの、確かにあるかも、と。

岩井さんは、テツコのように「死」が身近にないから、「人は必ず死ぬ」というテツコの主張を理解できません。でも、理解できないからって諦めることはしなくて、なんとかして分かろうと奔走してくれます。その姿が健気というか、なんだか憎めないんですよね。

そんな岩井さんの気持ちに応えるためにも、テツコは一樹の死を受け入れようとしますが、そう簡単に割り切れるものではありません。



【見えないけれど、どうしようもなく、あるもの】


この作品の中で、度々出てくる表現があります。

"夜空を見上げるお父さんは、朝、出勤する時と同じ顔をしていて、悲しみを抱えている人には見えなかった。見えないけれど、どうしようもなく、それはあった。"


見えなくても、確かに存在するもの。
いなくなってしまっても、どうしようもなく、まだそこにいる人。

それらは、物質的には「無」なのかもしれないけど、その人が想う限りは物質以上に「有」なのかもしれません。


ギフが、テツコの友人の「師匠」こと山ガールと登山をしている最中に、こんな会話をします。

"「いや、見えないものは、ないってことでいいんじゃないですか? 死んだってことで、いいと思うな」  
ギフがそう言うと、
「見えないところに捨てても、結局、地球上からなくなるわけじゃないですよね」
と、師匠は何か覚悟を決めたようだった。
「死んでも、やっぱりいるんですよ」
そーなのだろうか? 急に目の前からいなくなった、妻や息子やリモコンをつくってくれた友人も、やっぱり今もここにいて、オレと生死を共にしてくれているんだろうか。
「見えなくても、いるんです」"


私はまだ、身近な大切な人との死別を経験した事がありません。だからテツコやギフの抱える喪失感を想像することはできても、実感が伴いません。

それでも、「見えなくても、いる。」という感覚には心当たりがあります。


この物語の登場人物たちも架空のキャラクターであって、現実には存在しません。でも、こうして共感しながら読んで、その人物の心情に想いを巡らせている私の内側に、彼等は確かに存在しているのです。

かつて一緒に過ごした人だったり、壊れて無くなってしまった大切なものだったり、もう触れることは叶わないけれど、思い出として自分の中に在り続けるもの。


それらは、誰の心にもひとつは必ずある筈です。

そう考えたら、世の中は色んな人達の「見えないけど、どうしようもなく、あるもの」で溢れているのかもしれないなぁと思いました。

八木重吉が求めた「ほんとうに美しいもの」は、そういうものの中にある気がしてなりません。


テツコが未だ「どうしようもなく、ある」と感じている一樹の存在を、どうやって受け止めていくか。そこは是非本編を読んで確かめていただきたいです。




【昨夜のカレーと、明日のパンがあること】


冒頭で紹介した「すいか」というドラマに出会った当時、私はまだ中学生だったので、あの作品の魅力を半分くらいしか理解できませんでした。それでも強烈に惹かれる何かがあって、大人になってからも何度も何度も観返しています。年を重ねるにつれ、理解が深まる作品だと思っています。「すいか」の魅力については、また改めてnoteに綴りたいですね。


この「昨夜のカレー、明日のパン」も、ある程度人生経験を積んでからの方がより楽しめる作品かもしれません。なにしろ私は恥ずかしながら、この作品のタイトルを知ったのは何年も前なのに、その意味が全然ピンとこなくて、いざ読もうとしたタイミングでハッと気付くという。笑

「すいか」と同じように、この物語も何度も読み返していきたい作品となりました。


因みにこの小説、後にテレビドラマ化されていたらしく、読了後そちらも配信サイトで視聴しました。

やはり木皿泉さんは脚本家だと強く感じる素晴らしい映像でした。同時進行で話が展開して、登場人物も増えてわちゃわちゃ感が増して、楽しくて、でも何処か寂しくて、それでもやっぱり少し救われるような気持ちになれます。

DVD化もされてるので、お給料が入ったらポチります。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。素晴らしい作品との出会いをありがとうございました。



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