見出し画像

まともな別れ

 僕はオーストラリアのチーズ工場で働いている。ベルトコンベアーから流れてくるチーズをパッキングしたり、それを出荷するためのコンテナに積み込んだりと、その日のスケジュールに合わせて様々な作業を行う。普通は一つの持ち場に配属されて同じ作業を続けるのだけど、僕は日によって色々なセクションをたらい回しにされている。まあ言ってしまえば良いように使われているわけである。そんな境遇のせいで最初はなかなか仕事も覚えられず苦労したのだが、少しづつ状況が変わっていった。僕はオールラウンダーとして徐々に重宝されるようになり、時として各部署が取り合うような人材となった。勤続一年以上の今ではちょっとした自負みたいなものがなくはない。洗脳されてしまったとも考えられるが、信頼を得たと考える方が健康なので自分にそう言い聞かせている。

 そんな中、ディーンというオーストラリア人には特にお世話になった。彼は数人いるフォークリフトドライバー達をまとめている監督役で、その立場上いつもストレスにさらされているようだった。年齢は四十代半ばほど、愛想があまりないのに加えてスキンヘッドという出で立ちも相まり、少し近寄りがたいオーラがある。何か必要なものがあって運んでもらうように頼むと、彼はただ頷くか手を挙げるだけで返事をしないことが多かった。最初はそれに対してやや萎縮してしまい、僕は頼みごとをできるだけ他のドライバーにお願いしたものだ。他の従業員達にも彼を少し敬遠しているきらいがあった。
 しかし、共に仕事をするにつれて少しずつ距離が縮まっていった。連日のように何時間も一緒にコンテナの中で積み荷作業を行っていると、家族や趣味について、また過去の悪行や未来の展望など、一通りの雑談を通してお互いの人となりがよく分かった。ほかの典型的なオーストラリア人とは異なり、ディーンは仕事に対して責任感が強かった。僕のような末端の従業員に知らせる必要のないような業務上の小さな変更なども教えてくれたし、明らかに彼の責任ではないことに対して謝ったりもした。これは英語圏の人間にはなかなか備わっていない資質である。

 そのディーンが退職することになった。ずっと転職活動をしていたらしく、もっと大きな規模の工場で待遇の良い役職の仕事が見つかったそうだ。どう考えても賢明な判断だった。なぜならチーズ工場ではここ最近、普段は現場にいない経営者が現れてはあれこれと指示を出して混乱を招き、ちょっと傍からも見ていられないほどディーンを悩ませ続けていたからだ。退職を本人の口から聞かされた時、「おめでとう」と伝えると「一緒に連れていってあげられたら良かったんだけど」と彼は言った。
 ディーンの最後の出勤日、僕は朝に簡単な挨拶を交わしただけで、彼の去り際に立ち会えなかった。自分が感じている感謝の一割ほども伝えられなかったが、別れ際にあれこれ喋ったりハグをしていたとしても同じくらいしか伝えられなかっただろう。一人も知り合いがいない異国の地で、自分のことを気にかけてくれる人の下で働けた幸運は、ちょっと言葉では表現できない。それは慣れ親しんだ日本語をキーボードで打っている今でも同じである。
 本当に近しかった友人やお世話になった人との名残惜しい別れの際、僕はそれでは到底足りないと知りつつも、とりあえず三万円くらい現金を相手に渡したくなる。勿論そんなことは実行しないのだけれど、もっとまともな別れの方法は未だに見つけられていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?